11/05/2022

おおしま国際手作り絵本コンクール2022ジュニアの部

 今年も4作品をタイから応募しました。

http://www.ehonkan.or.jp/recruit/contest/kids_2022_prize.html




4作品中2作品が奨励賞、1作品が入選となりました。


10/31/2022

12月のイベント

 12月3日(土)ぼらマッチなごや2022

https://www.n-vnpo.city.nagoya.jp/project/boma2022/


12月10日(土)国際協力カレッジ2022

https://nangoc.org/2022/09/24/college2022/


NPOキャンヘルプタイランドはどちらも参加します。

9/26/2022

2022年度翻訳会

 今年の翻訳会も無事に終了いたしました。

例年なら2回程度開催するのですが、今回は1度で終わりました。
ご協力いただいた方々に感謝申し上げます。

翻訳会の帰りに名古屋の大須観音の前を車で通ったら・・・
トゥクトゥクが停まっていました。




9/07/2022

2022年度奨学金資料翻訳会

 タイ人奨学生からの手紙などの翻訳作業を行います。

   日   時:9月25日(日)午後1時から

   場   所:事務所

   参加費:無料

名古屋周辺で暮らすタイ人女性の皆さんとペアになって手紙等の翻訳作業を行います。

興味のある方は事務局までメールにてご連絡下さい。




8/14/2022

7月10日(日)(その16)

  TG644便を使うときはいつも離陸を覚えていません。席に座ってシートベルトを着けるとすぐに眠りについてしまうのが原因です。シートベルト装着のサインが消える頃に目が覚めたので、シートベルトを外し、座席と座席の間にあるひじ掛けを持ち上げてからゆっくり横になります。コロナ禍になり、機内が比較的空いているので可能な技です。そのまま日本時間の午前5時(タイ時間午前3時)まで、約3時間ぐっすりと寝ることができました。外はまだ薄暗いですが、朝食用の機内食の準備の音がかなりうるさく響いてきます。少し経つと機内の照明が点けられ強制的に起こされます。そして、囚人の様に与えられた食事をもくもくと食べるのです。着陸態勢に入る前までに。

TG644便は定刻より少し早く中部国際空港に着陸しました。前回の4月は、空港内でPCR検査を受ける義務があったので、その結果が出るまで待機が必要でした。しかし、今回はワクチン接種を既定の回数終了しているという条件付きでPCR検査がなくなっていました。相変わらず長い距離を歩かされますが、MySOSの青色の画面を見せながら歩くと、ほぼ立ち止まることなく入国審査場まで来ることができました。入国審査も自動化ゲートになっているので、待ち時間は0です。スーツケースも、すぐに出てきました。税関審査も事前に税関アプリを入れておいたので、無人のゲートを通り抜けるだけです。前回は、ここでゲートが開かないというアクシデントがありましたが、今回はすんなり通ることができました。810分には到着ロビーに出ることができました。Iさんも5分ほど過ぎたころに出てきました。これで僕はお役御免です。どっと疲れが出ましたが、家に着いたらすぐに投票へ向かうことにします。

おしまい

8/07/2022

7月9日(土)(その15)

 7時、ロビーでIさんと待ち合わせをして二人で朝食会場へ行きます。本来ならお昼の12時でチェックアウトしなければならないのですが、レイトチェックアウトにしても1時間ほどしか延長できないので、Iさんの部屋だけ延泊にして、Iさんは夜まで部屋でゴロゴロすることになりました。結果、僕の部屋にある荷物をIさんの部屋に移動させておけば一石二鳥です。朝食後、僕はお昼のチェックアウトぎりぎりまで部屋で過ごし、その後、荷物をまとめてIさんの部屋へ移動しておきました。そして、夕方までTerminal21で映画でも見ながら過ごすことにします。本当ならTOP GUNを観たかったのですが、公開から日が経ち、ちょうどよい時間帯の上映がなかったので、仕方なく日本ではまだ公開前のジュラシック・ワールドにしました。もちろん、音声は英語で字幕はタイ語だったので、ストーリーがチンプンカンプンで玉砕しました。まぁ、エアコンの効いた部屋でゆっくり2時間寝られたと思う事にしました。ひとつ気が付いた事があります。タイでは映画の上映前に必ず国王讃歌的なものが流れますが、昔は、観客は全員起立してそれを聞くのがルールでした。しかし、国王が新しくなり、その文化も廃れてきたのか、その間、館内の若者は誰も起立しませんでした。国王讃歌が流れている間、タイ人が立っていないのに日本人の僕だけが立つのは少し変なので、僕もそのまま座っていましたが、なんだかすごく違和感がありました。

 今日の夜の飛行機、正確には明日の午前0時過ぎのTG644便で日本へ帰ります。夜7時、ホテルへ戻りIさんのチェックアウトをしてから、マッカサン駅までタクシーを利用しました。幹線道路は渋滞しているのですが、裏道は車が少ないので、タクシーは裏道を縫うように駅まで走ります。7時半にマッカサン駅に到着し、そのままエアポートリンクを利用してスワンナプーム国際空港へ向かいます。午後8時に空港に到着し、そのままチェックインカウンターの列に並びました。4月の時よりも列が長くなっているので、日本とタイとの往来もかなり回復してきたということでしょう。順番が来たので、パスポートと陰性証明の画面を提示してチェックインは無事に終了しました。あとは手荷物検査と出国審査の順に進んでいけばよいだけです。夜9時前には空港の制限区域内に入ることができました。コロナ禍前と変わったのは、チェックインカウンターでパスポートと一緒に陰性証明書を見せることだけです。

 出国審査場を出たところで搭乗ゲートの場所を確認してIさんと解散しました。スワンナプーム空港内には、シャワー付きのラウンジがたくさんあるので、僕はそこでゆっくりシャワーを浴びてから遅めの夕食を食べました。Iさんは、残りの現金が120バーツしかなかったので、安めのソフトクリームで空腹を満たしました。

 夜11時半、搭乗開始です。後6時間で今回の長旅が終了すると思うと感慨深いものがあります。

つづく

8/02/2022

7月8日(金)(その14)

 朝、日本から衝撃的なニュースが飛び込んできました。タイでもトップニュースとして取り上げられ、「日本も、もはや安全な国ではない。」という印象を全世界に発信するには十分でした。「明後日、無事に日本に帰れるだろうか?」という心配がありましたが、どうやら単独の犯行で組織的なものではないと、NHKのワールドニュースが伝えているので少し安心しましたが、これで、自由民主党が710日の選挙で圧勝するだろうという事は容易に想像できました。

 10時にPCR検査を予約してあったので、915分にホテルのロビーでIさんと待ち合わせをしました。日本へ帰国するためには、帰国便の搭乗前72時間以内のPCR検査の陰性証明書が必要です。これをもらうためにわざわざバンコクに戻ったといっても過言ではありません。4月の渡航時にも利用したクリニックまでは少し距離があったのでタクシーを利用し、あっという間のPCR検査を受けて、帰りはシーロー(軽トラックの荷台を座席に改造したもの)でホテルへ戻りました。9時半前にホテルを出て、1015分に帰着です。

 午後7時にキャンヘルプタイランドの西川会長と食事をすることになったので、それまでは自由行動としました。と言っても、バンコクでは特にすることがないので、部屋で朝の事件の情報収集をすることにしました。テレビを観て、シャワーを浴びて、またテレビを観て、そうこうしているうちに、PCR検査の結果がメールで届きました。このメールには陰性証明書が添付されているのですが、これを日本の検疫で見せるだけではすぐに空港を出られません。MySOSというアプリに事前に登録しておくことで、いち早く空港を出られるファストトラックを利用できるのです。メールで送られてきたPDF形式の陰性証明書をスクショして画像ファイルに変換し、MySOSのアプリに登録します。このアプリはすごくよくできていて、初めは赤い画面が、登録の進み具合によりだんだん黄色から緑、最後に青に変わります。Iさんの分は明日の朝食時に行うことにしました。

 会長とBTSアソーク駅の次のプロンポーン駅で待ち合わせだったので、たいした距離じゃないと思いIさんと645分にアソーク駅で待ち合わせをして、プロンポーン駅まで歩き始めましたが、たいした距離でした。後で会長に聞くと、BTSのナナ駅とアソーク駅間の距離は高架鉄道の中で一番短いとの事で、完全にそれに騙されました。プロンポーン駅に着く直前にスコールが降り始め、ぎりぎり濡れませんでしたが、駅に着いたのは午後71分でした。僕の完全なリサーチ不足です。西川会長はすでに改札で待っていました。Iさんが“日本蕎麦”を食べたいというので、日本人の比較的多く住むこのエリア(日本人街)での待ち合わせをしました。20年以上タイで生活している会長おすすめの蕎麦屋は駅のすぐ近くにありました。1,000円ちょっとで天ざる蕎麦を食べられるので、店内は日本人で満席です。3人でお腹いっぱい食べて6,000円弱です。Iさん、ご馳走様でした。そのまま、会長と別れ、BTSでナナ駅まで戻り、ホテルのロビーで明日の朝食の時間を確認してから、部屋へ戻りました。

つづく

8/01/2022

7月7日(木)(その13)

 バンコクへ戻る日です。登校前に飾り付けの終わった竹の前で集合写真を撮った後、一緒に「希望の家」へ移動します。Iさんが好きだといった「カサロンの家」から「希望の家」までの田舎道を子ども達と一緒に車に揺られながら走ります。ただの田んぼ道ですが、都会育ちのIさんには感慨深いものがあるのでしょう。僕は似たような風景の中で育ったので、特に何も感じませんが、ただ単純に懐かしくて美しい風景だと思います。ですが、こんなチェンマイの田舎でも毎年開発が進み、徐々に田園風景は失われていくので、この景色が見られなくなるのも時間の問題でしょう。日本もこうやって発展してきたので仕方のないことですが…。

 子ども達のお見送りをしてから、チェンマイ空港へ向かいます。多少の渋滞はありましたが、ほぼ予定通り空港に到着し、バンコクエアーのラウンジで朝食を食べます。なぜ、エアアジアとかノックエアーなどのLCCを使わなかったかというと、バンコクエアーには無料で使えるラウンジサービスが付いているからです。そして、飛行機に載せる受託手荷物も20㎏まで無料なので、費用対効果はかなり優秀な部類に入ります。特に、一緒にバンコクへ行くトゥンちゃんは、翌日そのまま台湾へ渡航するので普段より荷物が多く、できれば追加料金を払いたくないという思惑もあります。僕とIさんは、後は日本へ帰るだけなので、スーツケースの中身はほぼ空です。二人合わせても受託手荷物は12㎏もありません。機内持ち込み手荷物も一人7㎏ですが、ラップトップPCなどの重ためのものは安全のため機内持ち込みにするので、僕の分の受託手荷物は、丸まるトゥンちゃんにプレゼントできます。助け合いの精神です。チェンマイからバンコクへ向かう飛行機はほぼ満席でした。コロナ禍で機内サービスがない代わりに、到着時の飛行機を降りるタイミングで簡単なスナックの手土産がもらえました。

 トゥンちゃんは、そのまま大きなスーツケースを空港に預けます。料金は1150バーツですが、30㎏以上あるスーツケースを転がしながらバンコク市内を往復することを考えると安いものです。空港からバンコク市内へ向かうエアポートリンクという列車を使い、マッカサンというターミナル駅へ向かいます。

 トゥンちゃんは、マッカサンの駅から徒歩1分のホテルを予約しています。僕とIさんは、Iさんの「バスタブ付きの部屋が良い。」とのリクエストで、スクンビットのSoi11にあるアンバサダーホテルにしました。最寄りの駅はBTSのナナ駅なのですが、マッカサン駅から地下鉄でアソーク駅(一駅)まで行き、BTSに乗り換えてナナ駅(一駅)まで移動しないといけないし、ナナ駅からほんの少し距離(200m)があるので、マッカサンからタクシーを利用することにしました。僕一人だったら、マッカサン駅からホテルまで1.5㎞ほどなので簡単に歩ける距離ですが、二人で地下鉄とBTSを使うとそれなりにチケット代がかかるので、近距離でもタクシーを使う方が費用対効果は高いです。日本でタクシーを使うことは贅沢な部類に入ると思いますが、バンコク市内は、2人以上5人未満の移動ならタクシーの方が安い場合があります。「渋滞のない時間帯ならば」という条件が付きますが…。

 マッカサン駅でタクシーを拾い、アンバサダーホテルに無事に到着しました。75バーツでしたが、80バーツを渡しました。現在のレートだと約320円です。アンバサダーホテルは、バンコクでは古い部類に入るホテルですが、バスタブがあり部屋も広く好立地なのに、比較的リーズナブルでコストパフォーマンスの高いお勧めのホテルです。BTSのナナ駅にも近いですし、Terminal21というデパートの隣接するアソーク駅にも歩いていけます。ホテル周辺はハラル料理のレストランが多く、中東方面からの観光客向けのエリアとなっています。

 ホテルにチェックインをして部屋に荷物を置いた後、もう一度Terminal21で待ち合わせをして、その中にあるタイ料理のレストランで夕食を摂った後に、マッサージに行くというトゥンちゃんにIさんを任せて、ようやく解散となりました。

つづく

7/29/2022

7月6日(水)(その12)

  朝、子ども達が登校した後の静かな食堂で短冊作りを始めました。A4の色紙を適当な大きさに切り、穴をあけて紐を通します。七夕飾りは、YouTubeを見ながら折り紙でそれらしいものを作っていきます。もくもくと作業をしたおかげで、お昼前にはある程度の準備ができたので、昼食はソムタム(青パパイヤサラダ)にします。

いつもなら朝5時に起きて子ども達の食事の準備をするクールが、めったに飲まない薬のせいでお昼前までぐっすりと寝ていました。そのおかげで元気に復活したようで、厨房での調理作業に加わります。その辺に生っている青パパイヤを採ってきて、細長く切り、卓上の臼を使って、トマト・インゲン・干しエビ・ピーナッツ・青唐辛子・ニンニク・ヤシ砂糖・マナオ・ナムプラーなどと和えれば完成です。タイのイサーン(東北地方)では、ここにサワガニなどを加えて、味に深みを出します。後は、カオニャオ(蒸したもち米)とガイヤーン(焼いた鶏)が揃えば、完全なイサーンスタイルの昼食ですが、今回は、ソムタムと朝食の残りです。

 午後、子ども達が帰寮する前に短冊を飾る竹を準備します。「カサロンの家」のスタッフのルンチュアイに鉈を借りて、適当な竹を探して切り倒そうとすると、手伝ってくれました。普段はあまり人との関りを持ちたがらない寡黙な年配の男性ですが、仕事はキッチリです。特に子ども達からの信頼も厚く、主な仕事は子ども達の送り迎えと家畜の世話などで、「ルンチュアイ」の「ルン」はおじいさん、「チュアイ」は助けるという意味なので、まさにお助けマンです。少し長めの竹を切り、枝を払って、適当な長さにして軒下に縛り付けました。あまり竹の背が高くても短冊を縛るのが大変なので3.5mくらいの長さにしましたが、軒端に揺れる感じは再現できました。そこに手際よく飾り付けをして、短冊もお手本で5枚くらい縛り、準備完了です。

 夕方、子ども達が戻ってきました。軒下の竹を見た小さな子たちはちょっとした興奮状態だったので、「まずは水浴びをして着替えてから。」と短冊を欲しがる子ども達を制します。いつもよりも早く水浴びをして戻ってきた子ども達に「なんでもいいから願い事を書くんだよ。」と短冊を3枚づつとペンを渡しました。小さな子ども達は、短冊に絵を描いています。大きな子は、「4がとれますように。」と日本語のひらがなで書きました。“4”は、日本でいうところの通知表の“5”に当たる数字で、成績の最高点です。これを短冊にスラスラと書いたので、ついさっき学校で同じことをしてきたばかりだと、すぐに分かりました。あとは、「歌手になりたい。」とか「お金持ちになりたい。」とか全世界共通の「子どもの夢」が書かれた短冊がたくさんできました。短冊を書き終えた子から順番に軒下の竹へぶら下げていきます。なんとなくそれらしくなってきました。明日の朝、学校へ行く前に皆で写真を撮ったらおしまいです。
つづく

7/27/2022

7月5日(火)(その11)

 トゥンちゃんが、台湾へ持っていくお土産を買いにチェンマイ市内へ行くというので、ついて行って七夕用の短冊を作るための色紙や飾りになりそうなものをついでに買うことにします。ですがそれらは、クールを病院へ連れていくことのついでとなりました。クールは朝から最高に調子が悪そうだったので、大事をとってまずはクールを市内の病院で降ろし、診察を受けている時間を利用して、買い物を済ませることにしました。

 ドイサケットから118号線を南西へ走り、Central Festival Chiangmaiというデパートのある交差点を右折して11号線を西へ向かいます。約3.2㎞進んだ右側にあるランナー病院は、緑色の大きな看板が目印で、環状11号線沿いの1号棟・2号棟とわき道を少し入った奥の3号棟に分かれていて、それぞれの施設間を無料のシャトルバスが走るほど大きな施設です。クッゲンは、今年の3月にコロナになった子ども達を車に乗せ何度もこの病院を往復しました。そんな、クッゲンはコロナに罹らなかった数名のスタッフのうちの一人です。もし、彼がコロナに罹っていたらと思うと、ぞっとします。

最近タイ国籍を取得した山岳少数民族出身のクールは、タイの医療保険制度についてあまり詳しくありません。診察料がいくらくらい必要なのかもよくわからない中でとても不安だと思いますが、そんなクールを一人病院に残し、他の人達は近くのロータスへ買い物に出かけます。まずはフードコートでお昼ご飯を食べてから、各々必要なものを買いに店内に散らばります。色紙・ハサミ・セロハンテープ・飾り用の金色の細いテープ・のりなど七夕飾りに必要そうなものを一通り購入し、もう一度クールを迎えに病院へ行きますが、まだ診察が終わっておらず、クールだけを残して一度「希望の家」へ戻ることにしました。寮母さんのいない「カサロンの家」の子ども達は、「希望の家」で「希望の家」の子ども達と一緒に夕食を食べることになったので、途中のドイサケット市場で夕食の材料を購入し、そのまま「希望の家」へ向かいました。そして、そこでクールからの連絡を待つことにします。午後3時には「希望の家」に到着したので、すぐに夕食の準備にかかります。今夜のメニューはクゥイッティアオです。一人3杯は食べるでしょうから、約150杯分の食材を準備します。高学年女子が手分けして作業します。Iさんも手伝います。クッゲンと僕は、到着後にすぐにクールから連絡が来たのでとんぼ返りで市内の病院へ向かいます。

クールは、すべてが終了しとても安心した様子でした。もちろんコロナでもありませんでした。そのまま、クールを子ども達のいない静かな「カサロンの家」へ送り届け、処方された薬を飲んでゆっくり休むように伝えました。

「希望の家」の食堂は、戦争状態に突入していました。子ども達から次々に入る注文をさばくのに必死で、スタッフは汗だくで働いています。ある男子高校生は、「5杯目だ。」と言っていました。 怖いですね。

夕食後、子ども達と一緒に「カサロンの家」へ戻ります。嵐のような一日でしたが、困難を乗り越えた後のちょっとした一体感の様なものが、心地よく感じる時もあります。今夜もぐっすり眠れそうです。

つづく

7/25/2022

7月4日(月)(その10)

 朝、子ども達は、あっという間に学校へ行ってしまいました。少し取り残された気分です。カサロンの家に滞在するときにいつも食事の準備をしてくれるクールさんの調子があまり良くありません。激しく咳き込んだり、喉がガラガラでうまく声が出なかったりします。少し心配なので、「僕たちの食事は自分たちで何とかするから、ゆっくり休んで。」と伝えました。幸い、カサロンの家の子ども達の食事についても、ここの女子高校生や希望の家から手伝いに来た大学生が上手に手分けして調理できますし、男性スタッフのサマーも協力して、この危機を乗り越えます。

 朝食は、夕食の残りとご飯と梅干で事なきを得ました。朝食後、毎週恒例の「カサロンの家」と「希望の家」の子ども達、総勢40名分の食材の買い出しです。クッゲンの運転する車でチェンマイ市内の市場まで行きます。Iさんが、カサロンの家の敷地内に生っているパパイヤを見ながら、「ソムタムが食べたいなぁ。」とつぶやいたばかりに、ソムタムを作ることになって、その材料も買うことになりました。朝のうちに、しゃべるのも辛そうなクールにソムタム作りに必要な材料を聞き出し、メモを取りそれをもって市場を周ります。まさに「はじめてのおつかい」です。あまり僕が手助けしても面白くないので、少し離れたところから楽しむことにしました。青パパイヤやマナオ(シークアーサーの様な柑橘類)やピーナッツなどはカサロンの家にあるので、トマト・干しエビ・ヤシ砂糖・青唐辛子・ナムプラーなど足りない食材の購入が必要ですが、トマトと青唐辛子は寮でも大量に使うのでクッゲンの買い物分から少し拝借することにします。Iさんは、タイ語も書いてあるメモ用紙を店の人に見せながら着実にミッションをクリアしていきます。この間、僕の頭の中には、B.B.クイーンズの「しょげないでよBaby」がずーっと流れています。

 お昼前には買い出しは終了したので、昼食をカサロンの家の近くのクゥイッティアオ(タイ風の米麺)屋さんで食べました。こういう庶民派の食堂には、ナムプラー・唐辛子入りの酢・粉末唐辛子・砂糖の計4種類の調味料がたいてい常備されていて、自分の好みの味付けにできるようになっています。僕がタイに来だした初期の頃は、「麺類に砂糖?」と思っていましたが、今では、自分の味が確立され、砂糖抜きでは物足りなさを感じるほどになってしまいました。タイ料理は本当に奥が深いです。

タッサニーさんの娘さんが今日、職場のあるチェンライからチェンマイに戻ってくることを思い出してしまいました。娘さんには、日本で購入を頼まれたものを渡すという重要な用事があったので、バイクを借りて「希望の家」へ行くことにします。タッサニーさんの娘のトゥンちゃんは、すでに希望の家に戻ってきていました。トゥンちゃんと言ってももう30歳代後半です。チェンライの大学で教授をしていますが、ここ数年は台湾で教鞭をとっていました。コロナ禍になり1年ほど前にようやくタイへ帰国することができましたが、また、78日から短期で台湾へ行くそうです。そんなトゥンちゃんに日本での購入を頼まれたものはポケモンのフィギュアでした。バンダイの1300円のガシャポンのおまけで、1シリーズ4種類が第15弾まで出ているのですが、あと3シリーズ揃えばコンプリートするそうです。どんなものでも、揃え始めは気楽にスタートできますが、ある程度まで揃ってしまうとやめるにやめられなくなるのは世の常です。切手や箸袋など、世の中にはコレクターと呼ばれる人が大勢いますが、その心理をうまく利用したビジネスモデルは、今後も衰退することなく続いていくことでしょう。というわけで、1300円のフィギュアを4個×3シリーズの計12個、金額にすると合計で3,600円とたいしたことないように思われます。しかし、ガチャガチャの恐ろしいところは、どれが出るのか分からなく、4種類すべて揃えようと思うと、確率論の話になってしまうところです。しかも、ちょっと前のシリーズはすでに廃盤になっていますので、定価での入手は確実に不可能です。結局、購入のすべてをネット通販に頼り、トータルで10,000円近くかかりました。僕にとってはムダな出費でも、トゥンちゃんにとってはとても意味のあるものです。ですので、このフィギュアに本当にそれだけの価値があるかどうかは本人にしか分からない世界なのです。宗教と同じで実態のない心の問題なので、あまりとやかく言わない事にします。 結果、トゥンちゃんは、僕にプライスレスの恩を受けたことになります。しかし、人は、受けた恩をすぐに忘れてしますので、僕は、トゥンちゃんに会うたびになるべくこの恩を忘れないようにこの話題を持ち出して、効果を最大限まで引き延ばす努力をします。そして、単純に費用対効果では測れない、しがらみという名の繋がりができ、腐れ縁となっていくのです。 怖いですねぇ。

 夕方、外で夕食をという事になり、僕とIさんとトゥンちゃんとグッゲンと希望の家の女子大生の5人でドイサケットにあるピザレストランへ行きました。ドイサケットの田舎には似つかわしくない西洋風の店構えですが、客層もそれに倣ってドイサケットに暮らす年配の西洋人ばかりでした。本格的なピザをタイの田舎で食べられるのは凄いことですが、値段もそれなりなので、タイ人にとっては普段から気楽に食べにいくという感じではなさそうです。会計は、軽く1,200バーツを越えてしまいました。 怖いですねぇ。

 夜のミサで、ある女の子から、「七夕」について質問されました。「なんでそんなこと知ってるの?」と聞き返すと、「今日、学校で先生から教えてもらった。」との事でした。中学生と高校生が5月から新しく通いだしたサンカムペーン学校には、日本人の先生が一人と日本語の話せるタイ人の先生二人が在籍しているらしく、最近、日本の学校ではあまりやらなくなった「七夕」について勉強したようです。明日は7月5日なので、まだ間に合います。竹は敷地内にいくらでもあるので、あとは短冊と飾りを用意すれば「七夕まつり」ができます。

つづく

7/22/2022

7月3日(日) (その9)

 朝からバタバタです。お昼からのオンライン交流のシミュレーションで頭の中がいっぱいいっぱいになっていますが、それまでに片付けておかないといけないことが山ほどあります。こちらの高校生一人一人へ、オンライン交流を午後1時から開催することの周知と15分前集合、英語での自己紹介の心づもり、交流会の要点などを連絡します。こういう場合、一番しっかりしたリーダー的な学生にまず伝え、少し時間をおいて、一番年下の学生に確認すると、ちゃんと伝わっているかわかります。司会進行を英語のできる希望の家のスタッフにお願いし、僕は裏方に徹します。そのナモー(ソロモン)君は、日曜日のミサなどの司会を一人でこなす優秀なスタッフです。特に、以前行っていた交流ツアーで、「カサロンの家」での最後のお別れの時、英語のできる日本人学生のスピーチはそれをそのままタイ語に訳して子ども達に伝える役をするのですが、日本語でのスピーチの場合もなんとなくニュアンスを読み取ってタイ語に訳すという芸を彼は持っています。なんでも適当にやってのける能力があり、信頼できる一人で、今回のようなイベント時にもとても役に立つ人材です。

 10時半、「希望の家」の2階の大広間で日曜のミサが始まりました。この会場でオンライン交流会を行うので、終了時間が気になって仕方ありません。エアコンのある部屋がここだけなのです。午後1時(日本時間午後3時)に交流会がスタートなので、お昼を食べる時間を考えると、12時にはミサを終わらないといけないし、終了後すぐにお昼ご飯を食べられる状態でないと間に合いません。ドキドキです。11時半、調理担当のスタッフがミサを抜けました。いい感じです。1145分、ナモー君が締めに入りました。この後の予定を子ども達に説明していきます。「高校生は、オンラインミーティングがあるから、1245分には、ここに集まるように。」と伝えています。「さすがナモー!」いい仕事をします。ミサが終了し、子ども達が食堂へ移動し始めました。僕は一人残り、コンピューターやプロジェクターやカメラやマイクのセッティングをします。この日のために、ノートPC2台とカメラと広い範囲の音の拾える高性能マイクを日本から持ち込みました。あらかじめWi-Fiのパスワードは聞いてあったので、インターネットへの接続も確認しておきます。1220分、準備完了です。このままにして昼食に向かいます。

 1245分、高校生が集まってきました。全員に英語での自己紹介をしてもらうことをもう一度伝えます。日本側には、接続テストのために、1250分くらいにはオンライン会議室をオープンしてくださいと事前に伝えてあったので、1250分に入室しました。画像と音声の確認が済み、あとは時間になるのを待つだけです。

 午後1時、オンラインイベントのスタートです。まずは日本の高校生の司会進行です。オンラインで時差があるのと緊張で、あまりスムーズではありませんでしたが、とても一生懸命さの伝わってくる見事な司会っぷりでした。お互いの自己紹介の後、日本の学生が、パワーポイントで作った学校の様子や学生生活や自分たちの活動紹介などを画像も入れ込んだスライドで次々に紹介していきました。タイ側は、寮の様子や通学風景、普段の寮生活、昨日の田植えなどを紹介しました。その後、お互いに質問タイムとなり、学校への通学方法などで、お互いの国の違いを認識し合っていました。予定は1時間でしたが、とても盛り上がったので1時間もオーバーしてしまいました。無事に終わって何よりでした。

 これで、今回の渡航のミッションはほぼコンプリートです。後は、何事もなく日本に帰国するだけです。ですが、まだ7日も残っています。どっと疲れたので、この日のこの後の記憶はありません。

つづく

7/20/2022

7月2日(土) (その8)

 5時、下のベッドからゴソゴソと音がするので、もうすぐドーイクンターン国立公園駅に着くのでしょう。上段のベッドには窓がないので、外の様子がわかりません。多分、まだ外は暗いのだと思います。もう一度目を閉じて、そっと下からの音を気にしていると、いつの間にか寝てしまいました。駅に着いたら「がんばって。」とあいさつをしようと思っていたのに、気づいた時には下は蛻の殻でした。朝7:15がチェンマイ駅の到着予定時刻なので、あと2時間です。完全に目が覚めたので、ベッドを椅子の状態に変えてもらい、ゆっくりと車窓を楽しむことにしました。小腹がすいたので、だんだん上ってくる朝日を見ながら、昨夜のサンドウィッチの残りを水で流し込み、おもむろにKindle(電子ブック)を取り出し、村上春樹ではなくDr. STONEを読み始めました。もちろんマンガです。最近、老眼がひどく車内などの暗がりで読む文庫本などはほぼ文字を識別できない状態なので、電子ブックの文字を最大にして読んでいます。文字が大きいという事はページをたくさんめくらないといけなくなり、1冊読み終わるまでに相当時間がかかりますが…。

 定刻の715分、列車はチェンマイ駅に到着しました。まさか、タイの列車が予定通りに着くなんて。お迎えの時間を9時から10時と伝えたことを少し後悔しました。駅構内の食堂でゆっくりと朝食を食べていると、突然、周りの人たちが立ち止まりました。毎日、朝8時と夕方6時の国歌の時間です。僕たち日本人も敬意を払うためゆっくりと立ちます。公共の場所では、この決まりが今でも生きています。もちろん運転中などは無理ですが、街中を歩いているときは大抵の人が起立の姿勢で国歌が終わるまで待ちます。歌が終わると人々が動き出す様が最高にシュールで好きです。朝食を食べ終わってもまだ時間を持て余したので、外のカフェでアイスラテを注文しました。もちろんいつお迎えが来てもいいようにテイクアウトスタイルです。9時になってようやくお迎えが来ました。いつものクッゲンです。ですが今日はシンガポール人の彼女を助手席に乗せていました。この子ともチェンマイに来るたびに何度かあっているので、すでに顔見知りです。シンガポールも旅行が解禁され、タイとも自由に往来ができるようになったそうです。久しぶりの彼女との再会を邪魔してごめんなさい。

 カサロンの家へ行く前に、飲料水やちょっとした食べもの、シャンプーや石鹸などを買うためにコンビニエンスストアに寄りました。そこでシンガポール人の彼女が、クッゲンのためにコカ・コーラを買おうとしたので、Iさんの持っていた買い物カゴにそっと入れておきました。カサロンの家に到着し、新築の建物の前に車が止まりました。Iさんは1階のVIPルームに、僕は2階の図書室にそれぞれ寝ることになりました。この建物は、2021年に完成し、キャンヘルプタイランドも2階の内装工事費用として約50万円を支援しました。完成状態を見るのは初めてですが、すごく快適そうで、1階はゲストルームと女の子の部屋、2階は図書室や学習室として使える大広間となっています。2005年に土の家(手作りレンガの家)1棟からスタートした「カサロンの家」が今では、食堂も合わせると建物だけで6棟、鶏小屋兼豚小屋、牛小屋、井戸水施設など、たった20年弱でかなり進化しました。子ども達は入れ代わり立ち代わりですが、歴史を刻むという事は本当に素晴らしいことです。

 10時少し前に「カサロンの家」に到着したのに、10時過ぎには、「希望の家」の方へ行くことになりました。「カサロンの家」は、キャンヘルプタイランドが2005年に建設しYouth Charity FoundationYCF)が運営する山岳部に暮らす少数民族の子ども達のための学生寮で、「希望の家」は2000年頃に、当時金沢大学の教授だった大森絹子さんとYCF代表のタッサニーさんが開設したエイズ孤児のための孤児院です。大森さんは、志半ばにして肺がんで亡くなられてしまいましたが、その意志を受け継いだタッサニーさんが一人で両施設合わせて約40名の子ども達の面倒をみてきました。「希望の家」の内容は、「スマイル」(高木智彦著)に詳しく書いてありますので興味のある人はぜひそちらをご一読ください。

 「カサロンの家」と「希望の家」は姉妹寮なので、距離的にはそんなに遠くありません。チェンマイ県ドイサケット郡の田舎道をくねくねと2㎞ほど走ると到着します。「この道が一番好き」とIさんが言っていました。「希望の家」に到着すると、子ども達は田植えの真っ最中でした。ようやく雨が降り、用水路に水が来たので、このタイミングを逃さないように、人海戦術で一気に行います。「カサロンの家」で苗を作り、それを小さな子ども達が11本手で抜いてひとまとまりにし、それを「希望の家」の裏にある田んぼまで運び、比較的大きな子たちが23本をまとめて手で植えていきます。「田植え機を使えばすぐに済むじゃん。」というご指摘もありますが、これにも教育的な要素があります。5月に一人23本の苗を植えて10月に一株か二株を鎌で収穫し、その後に大きなおにぎりを食べる日本風の田植え体験とは違い、まさに本物の授業ですが、子ども達は特に嫌がることもなく和気あいあいと作業をしています。僕も、見ているだけでは申し訳ないので、ほんの少しだけ田植えを手伝いました。Iさんは、見ているだけでは申し訳ないのでと大量のジュースの差し入れをしてくれました。できる人ができることをするのがボランティアです。

 明日はいよいよ、今回の渡航の2番目の目的、「名古屋の高校生とカサロンの家・希望の家の高校生とのオンライン交流」本番です。事前に連絡してあったので、ちゃんとこちらの学生たちも心の準備ができているのかと思って、夜にカサロンの高校生に確認してみたら初めて聞くような顔をしていてちょっと焦りましたが、まぁ、想定内なので、明日全力で準備します。

つづく

7/19/2022

7月1日(金)(その7)

 朝、友人がタンブン(お布施)に行くというので付き合います。友人は、5年以上ずっと寝たきりだったお母様を最近亡くされ、今は喪に服す期間なので毎日のお布施と仏壇前での読経を欠かしません。少し歩いて小道を入ったところで待っていると、お坊さんがやってきます。お供え物を鉢に入れ手を合わせると、自分だけのためにお経を読んでくれます。その行為にどんな意味があるのかではなく、その意味は自分自身が感じとるのです。お昼前に今度は自宅の仏壇?の前で友人が一人でお経を読んでいました。そっと後ろに座って聞いていると、とても心地の良い気分になりました。お経に限らず宗教的な音楽のリズムには少なからず癒し効果があるのでしょう。

 夕方5時、フォアランポーン中央駅まで、友人が送ってくれる予定でしたが、なんだかバタバタと忙しそうだったので、自力で行くことにしました。家の前でタクシーを待っているとトゥクトゥクが停まったので、値段交渉をして乗り込みます。この金曜の夕方に街の中心部まで70バーツで行ってくれるそうです。タクシーはエアコンの涼しさがありますが、トゥクトゥクには自然の風の涼しさがあります。排気ガスが臭いですが、これがバンコクです。夕方6時少し前にバンコク中央駅に到着しました。改札を抜けホームを歩いていると、目の前に見慣れた二人組が歩いていました。そっと後ろに付いてもしばらく気づかずそのまま歩き続けていました。「食堂車はないんだって。」と後ろから自然に会話に入っていくと、特に驚きもしませんでした。本来ならIさんはムさんの家の近くの駅から同じ列車に途中乗車する予定でしたが、心配だったのでムさんがここまでタクシーで連れてきたようです。ここからはIさんと僕の二人旅が始まります。ムさんは、この後74日から9日まで日本で通訳の仕事があるそうです。Iさんの早口はムさんにとって2年間使う事の少なかった日本語のかなりのリハビリになった事でしょう。4号車はかなり前方なのでホームを相当な距離を歩かされました。ですが、チェンマイ駅は終着駅なので、ここで歩いておけば、チェンマイ駅で歩く距離が少なくなるという事です。とりあえず荷物を座席に置き、夕食について考えます。食堂車がないことが予定外でしたので、ムさんとIさんはもう一度食料をゲットするために来た道を戻るそうです。荷物を見ておく人が必要だからと、僕は列車内に残りました。もう往復で300mも歩きたくありません。Iさんに「気の利いたものを買ってきて。」とお願いしておきました。しばらくすると、ムさんとIさんが戻ってきました。気の利いたものはサンドウィッチでした。3等車が連結されていればムさんは途中まで一緒に行けたのですが、あいにく1等車と2等車のみの列車だったのでここでお別れです。Iさんがお世話になりました。

 列車は18:10の定刻通り発車しました。車内は西洋人と台湾人と飛行機嫌いのタイ人と日本人でほぼ満席でした。特にどこか北欧の国の数組の家族連れが8名で乗り込んでいました。グループなのに席がバラバラの様だったので、いろいろな乗客に席の交換の交渉をしていました。もちろん僕もその対象となりました。2段ベッドの上と下では料金が異なるのですが、僕は安い方の上側だったので、気楽に交渉できたのでしょう。これで検札が来るまで落ち着いてゆっくりしていられなくなってしまいました。まだ、寝台の状態にはなっておらず、椅子が上と下の人で向かい合っているのですが、安い方(上)の人は進行方向とは逆を向いて座り、高い方(下)の人は進行方向を向いて座る事になっています。僕が移動してきた番号の高い方(下)の席の人は、タイ人の青年で大きなリュックにいろいろ詰め込んで「今からトレッキングに行きます。」といういで立ちでした。これからチェンマイの彼女に会いに行くというストーリーは想像もできません。話しかけてみると、「これからランプーンとランパーンのちょうど中間にあるドーイクンターン国立公園へトレッキングに行く。」という事でした。ちょうどその国立公園へ行く人のための駅があるので、そこで明日の早朝に下車するそうです。今日は金曜日なので、仕事帰りに寝台列車に乗り、土曜日の早朝に駅に着いたらそこからのんびり国立公園を散策しながら景色の良い頂上まで行き、そこで1泊したのち、日曜の夕方までに下山してまた国立公園駅から寝台利用で月曜の早朝にバンコクに戻るというコースだと思われます。テントや寝袋を入れると、1泊でも5泊でも荷物の量はそう変わらないので、どのみち大荷物になってしまうようです。タイ・カンボジア2週間の僕の荷物よりかなり大きめのリュックでした。そうこうしているうちに検札が来て、場所が違うことを指摘されましたが、「あそこの外国人と席を代わった。」と伝え事なきを得ました。これも旅の醍醐味です。ベッドメイク係の人に座席をベッドに変化させてもらい、2段ベッドの上段へ潜り込むと夜9時頃には寝てしまいました。トイレに起きたのは夜中の1度だけですが、その時は長時間停車していたので、たぶん時間調整のためでしょう。

つづく

7/18/2022

6月30日(木)(その6)

 朝5時、お腹が空いて目が覚めたので、昨日のベトナム料理の残りを食べました。一晩寝かせても十分美味しかったので星3つです。シャワーを浴び、身支度を整えて、7時前にホテルを出発します。今日は、2つの学校を訪問してからバンコクへ戻ります。ホテルを出て、2日前にも通った317号線を南下します。途中、ワッタナコーンの市場に寄り、簡単なスナック(串焼きの豚ともち米)を買ってムさんとIさんの朝食にしました。僕は高級ベトナム料理ですでにお腹がいっぱいです。

 2002年にワークキャンプを実施したバンサイトーン学校は3259号線沿いにあります。そうです、2日前にこの学校の前を通過したばかりです。校庭には大きな木がたくさんあり、先生方の職員室はいつも木陰に置かれたベンチです。門を入ってすぐの左側にある比較的新しい2階建ての校舎の前に車を停め、いつも先生方が座っているベンチの方へ歩き始めると、一人の先生がこちらに気づき、慌てふためいていました。まさに「慌てふためく」という単語を聞いたら、100人中100人が想像できる「慌てふためき様」でした。この先生も2002年当時からいる先生で、日本人のいたキャンプ中はお腹が大きくて、その時に生まれた子がもう二十歳という事です。校長先生は新しく若い先生に代わっていましたが、まだ、3名の先生が当時のままこの学校に在籍していました。ここでは図書館を建設しましたが、雨漏りで一部の天井が抜け落ちていました。まぁ、20年も経つとそうなります。でも、毎回こうやって突然視察に来るので、いつ見られてもいいようにすぐに修理されると思います。お昼を一緒に食べようと誘われましたが、次の学校へ行かないといけので、上手に断りました。この学校へ来ると、どうしても滞在時間が長くなるので、先にしておいて大正解でした。10時半においとまします。

 317号線を北上しカオチャカンまで戻ります。3035号線を左折し5056号線へ右折すると約4㎞で2007年にワークキャンプを実施したバーンクローンタンマチャート学校です。ここでは幼稚園校舎を建設しました。その頃の校長先生が最近亡くなられたという情報は、バンサイトーン学校の先生から聞いていたので、もう会えないのは少し寂しいですが、当時の先生方も数名残っているとの事で、建設した校舎を少しだけ見せてもらって帰ることにします。学校に到着して校内を歩いていると、当時いた先生が対応してくれました。幼稚園は若い先生ばかりだったので、キャンプの当時の事は知らないと思いますが、この幼稚園校舎は、まさしくキャンヘルプタイランドが建てたものです。新しい校長先生は不在でしたが、なんと、当時からいた女性の先生が校長に昇格していました。あまり長居するのも何なので、30分ほどの滞在で切り上げました。

 一応、これでバーンライサムシー学校の1校を残し、サッケーオ県でのワークキャンプ実施校は大体周れたので、バンコクへ戻ることにします。残りの学校は、また次回という事で。

 時刻は11時半です。お昼をどこで食べるかという問題が出てきました。とりあえず、ここから17㎞ほどのところにあるガソリンスタンドで休憩を取りながら考えようという事になりました。ガソリンスタンドでアイスラテを飲みながらいろいろと食事のとれる場所を探しましたが、Iさんが突然、「バンコクから来る途中の路肩で大きなメロンのオブジェを見た。」といいました。ムさんがスマホで検索すると、「บ้านเมล่อน เดสเสิรท」(メロンの家)というこじゃれたレストランだとわかりました。ここから約70㎞なので、1時間ほどの距離になります。予定到着時刻が午後1時なので、少しだけ遅い昼食になりますが、空腹より好奇心が勝ります。このガソリンスタンドで少しだけスナックを食べて、次の戦いに控えます。

 予定時間通り「メロンの家」に到着しました。ハウスメロン栽培とレストランが併設されたレストランで、メロンを使ったデザートがメインですが食事もできます。店内にはメロン直売所もあり、「まずはレストランで味見をしてから、気に入ったら買って帰ってね。」という事です。外観や内装や料理など、すべてがSNS映えを狙った作りですが、バンコクからはちょっとした小旅行の距離なので、日帰り観光客を取り込む戦略でしょう。本題の味はと言うと、日本で食べるメロンの方が断然おいしいですが、バンコクから2時間かけてくれば、それだけで5割増しという事です。

 午後2時、「メロンの家」を出発し帰路につきます。途中でスコールにあいましたが、スワンナプーム空港の手前まで、僕が運転してきました。さすがにバンコク市内の運転は怖いので、給油ついでにムさんと交代します。この調子なら午後4時にはバンコクの目的地に到着します。今夜は、Iさんはムさんの家に泊まり、僕はバンコクの友人の家に厄介になります。そして、明日の夕方の寝台列車でチェンマイへ向かうことになっています。

 友人の自宅前まで、ムさんに送ってもらいました。バンコクに暮らすその友人は、1996年頃のワークキャンプの通訳としてお世話になった人で、それからの付き合いなので、もう25年以上です。旅行会社を経営しているのですが、コロナ禍で売上が落ち込み大変だったと思います。ですが、持ち前のバイタリティーで何とかこの荒波を乗り切っています。実は今夜、その友人と食事会があるので、ムさんにIさんのお世話をお任せしたのでした。食事会と言っても、若手の男性歌手のディナーショーです。僕の友人も、どうしてもその歌手の歌が聞きたいのではなくバンコクの経営者ネットワークのお付き合いというスタンスなので、僕を一緒に連れていくのは、日本人を同席させて、「コロナ禍でも日本とのネットワークは途絶えていないぞ。」というアピールのためでしょう。お互い持ちつ持たれつの関係です。最後には、キャンヘルプタイランドの西川会長も呼び出してくれたので、約1か月ぶりに再会することができました。

つづく