8/14/2022

7月10日(日)(その16)

  TG644便を使うときはいつも離陸を覚えていません。席に座ってシートベルトを着けるとすぐに眠りについてしまうのが原因です。シートベルト装着のサインが消える頃に目が覚めたので、シートベルトを外し、座席と座席の間にあるひじ掛けを持ち上げてからゆっくり横になります。コロナ禍になり、機内が比較的空いているので可能な技です。そのまま日本時間の午前5時(タイ時間午前3時)まで、約3時間ぐっすりと寝ることができました。外はまだ薄暗いですが、朝食用の機内食の準備の音がかなりうるさく響いてきます。少し経つと機内の照明が点けられ強制的に起こされます。そして、囚人の様に与えられた食事をもくもくと食べるのです。着陸態勢に入る前までに。

TG644便は定刻より少し早く中部国際空港に着陸しました。前回の4月は、空港内でPCR検査を受ける義務があったので、その結果が出るまで待機が必要でした。しかし、今回はワクチン接種を既定の回数終了しているという条件付きでPCR検査がなくなっていました。相変わらず長い距離を歩かされますが、MySOSの青色の画面を見せながら歩くと、ほぼ立ち止まることなく入国審査場まで来ることができました。入国審査も自動化ゲートになっているので、待ち時間は0です。スーツケースも、すぐに出てきました。税関審査も事前に税関アプリを入れておいたので、無人のゲートを通り抜けるだけです。前回は、ここでゲートが開かないというアクシデントがありましたが、今回はすんなり通ることができました。810分には到着ロビーに出ることができました。Iさんも5分ほど過ぎたころに出てきました。これで僕はお役御免です。どっと疲れが出ましたが、家に着いたらすぐに投票へ向かうことにします。

おしまい

8/07/2022

7月9日(土)(その15)

 7時、ロビーでIさんと待ち合わせをして二人で朝食会場へ行きます。本来ならお昼の12時でチェックアウトしなければならないのですが、レイトチェックアウトにしても1時間ほどしか延長できないので、Iさんの部屋だけ延泊にして、Iさんは夜まで部屋でゴロゴロすることになりました。結果、僕の部屋にある荷物をIさんの部屋に移動させておけば一石二鳥です。朝食後、僕はお昼のチェックアウトぎりぎりまで部屋で過ごし、その後、荷物をまとめてIさんの部屋へ移動しておきました。そして、夕方までTerminal21で映画でも見ながら過ごすことにします。本当ならTOP GUNを観たかったのですが、公開から日が経ち、ちょうどよい時間帯の上映がなかったので、仕方なく日本ではまだ公開前のジュラシック・ワールドにしました。もちろん、音声は英語で字幕はタイ語だったので、ストーリーがチンプンカンプンで玉砕しました。まぁ、エアコンの効いた部屋でゆっくり2時間寝られたと思う事にしました。ひとつ気が付いた事があります。タイでは映画の上映前に必ず国王讃歌的なものが流れますが、昔は、観客は全員起立してそれを聞くのがルールでした。しかし、国王が新しくなり、その文化も廃れてきたのか、その間、館内の若者は誰も起立しませんでした。国王讃歌が流れている間、タイ人が立っていないのに日本人の僕だけが立つのは少し変なので、僕もそのまま座っていましたが、なんだかすごく違和感がありました。

 今日の夜の飛行機、正確には明日の午前0時過ぎのTG644便で日本へ帰ります。夜7時、ホテルへ戻りIさんのチェックアウトをしてから、マッカサン駅までタクシーを利用しました。幹線道路は渋滞しているのですが、裏道は車が少ないので、タクシーは裏道を縫うように駅まで走ります。7時半にマッカサン駅に到着し、そのままエアポートリンクを利用してスワンナプーム国際空港へ向かいます。午後8時に空港に到着し、そのままチェックインカウンターの列に並びました。4月の時よりも列が長くなっているので、日本とタイとの往来もかなり回復してきたということでしょう。順番が来たので、パスポートと陰性証明の画面を提示してチェックインは無事に終了しました。あとは手荷物検査と出国審査の順に進んでいけばよいだけです。夜9時前には空港の制限区域内に入ることができました。コロナ禍前と変わったのは、チェックインカウンターでパスポートと一緒に陰性証明書を見せることだけです。

 出国審査場を出たところで搭乗ゲートの場所を確認してIさんと解散しました。スワンナプーム空港内には、シャワー付きのラウンジがたくさんあるので、僕はそこでゆっくりシャワーを浴びてから遅めの夕食を食べました。Iさんは、残りの現金が120バーツしかなかったので、安めのソフトクリームで空腹を満たしました。

 夜11時半、搭乗開始です。後6時間で今回の長旅が終了すると思うと感慨深いものがあります。

つづく

8/02/2022

7月8日(金)(その14)

 朝、日本から衝撃的なニュースが飛び込んできました。タイでもトップニュースとして取り上げられ、「日本も、もはや安全な国ではない。」という印象を全世界に発信するには十分でした。「明後日、無事に日本に帰れるだろうか?」という心配がありましたが、どうやら単独の犯行で組織的なものではないと、NHKのワールドニュースが伝えているので少し安心しましたが、これで、自由民主党が710日の選挙で圧勝するだろうという事は容易に想像できました。

 10時にPCR検査を予約してあったので、915分にホテルのロビーでIさんと待ち合わせをしました。日本へ帰国するためには、帰国便の搭乗前72時間以内のPCR検査の陰性証明書が必要です。これをもらうためにわざわざバンコクに戻ったといっても過言ではありません。4月の渡航時にも利用したクリニックまでは少し距離があったのでタクシーを利用し、あっという間のPCR検査を受けて、帰りはシーロー(軽トラックの荷台を座席に改造したもの)でホテルへ戻りました。9時半前にホテルを出て、1015分に帰着です。

 午後7時にキャンヘルプタイランドの西川会長と食事をすることになったので、それまでは自由行動としました。と言っても、バンコクでは特にすることがないので、部屋で朝の事件の情報収集をすることにしました。テレビを観て、シャワーを浴びて、またテレビを観て、そうこうしているうちに、PCR検査の結果がメールで届きました。このメールには陰性証明書が添付されているのですが、これを日本の検疫で見せるだけではすぐに空港を出られません。MySOSというアプリに事前に登録しておくことで、いち早く空港を出られるファストトラックを利用できるのです。メールで送られてきたPDF形式の陰性証明書をスクショして画像ファイルに変換し、MySOSのアプリに登録します。このアプリはすごくよくできていて、初めは赤い画面が、登録の進み具合によりだんだん黄色から緑、最後に青に変わります。Iさんの分は明日の朝食時に行うことにしました。

 会長とBTSアソーク駅の次のプロンポーン駅で待ち合わせだったので、たいした距離じゃないと思いIさんと645分にアソーク駅で待ち合わせをして、プロンポーン駅まで歩き始めましたが、たいした距離でした。後で会長に聞くと、BTSのナナ駅とアソーク駅間の距離は高架鉄道の中で一番短いとの事で、完全にそれに騙されました。プロンポーン駅に着く直前にスコールが降り始め、ぎりぎり濡れませんでしたが、駅に着いたのは午後71分でした。僕の完全なリサーチ不足です。西川会長はすでに改札で待っていました。Iさんが“日本蕎麦”を食べたいというので、日本人の比較的多く住むこのエリア(日本人街)での待ち合わせをしました。20年以上タイで生活している会長おすすめの蕎麦屋は駅のすぐ近くにありました。1,000円ちょっとで天ざる蕎麦を食べられるので、店内は日本人で満席です。3人でお腹いっぱい食べて6,000円弱です。Iさん、ご馳走様でした。そのまま、会長と別れ、BTSでナナ駅まで戻り、ホテルのロビーで明日の朝食の時間を確認してから、部屋へ戻りました。

つづく

8/01/2022

7月7日(木)(その13)

 バンコクへ戻る日です。登校前に飾り付けの終わった竹の前で集合写真を撮った後、一緒に「希望の家」へ移動します。Iさんが好きだといった「カサロンの家」から「希望の家」までの田舎道を子ども達と一緒に車に揺られながら走ります。ただの田んぼ道ですが、都会育ちのIさんには感慨深いものがあるのでしょう。僕は似たような風景の中で育ったので、特に何も感じませんが、ただ単純に懐かしくて美しい風景だと思います。ですが、こんなチェンマイの田舎でも毎年開発が進み、徐々に田園風景は失われていくので、この景色が見られなくなるのも時間の問題でしょう。日本もこうやって発展してきたので仕方のないことですが…。

 子ども達のお見送りをしてから、チェンマイ空港へ向かいます。多少の渋滞はありましたが、ほぼ予定通り空港に到着し、バンコクエアーのラウンジで朝食を食べます。なぜ、エアアジアとかノックエアーなどのLCCを使わなかったかというと、バンコクエアーには無料で使えるラウンジサービスが付いているからです。そして、飛行機に載せる受託手荷物も20㎏まで無料なので、費用対効果はかなり優秀な部類に入ります。特に、一緒にバンコクへ行くトゥンちゃんは、翌日そのまま台湾へ渡航するので普段より荷物が多く、できれば追加料金を払いたくないという思惑もあります。僕とIさんは、後は日本へ帰るだけなので、スーツケースの中身はほぼ空です。二人合わせても受託手荷物は12㎏もありません。機内持ち込み手荷物も一人7㎏ですが、ラップトップPCなどの重ためのものは安全のため機内持ち込みにするので、僕の分の受託手荷物は、丸まるトゥンちゃんにプレゼントできます。助け合いの精神です。チェンマイからバンコクへ向かう飛行機はほぼ満席でした。コロナ禍で機内サービスがない代わりに、到着時の飛行機を降りるタイミングで簡単なスナックの手土産がもらえました。

 トゥンちゃんは、そのまま大きなスーツケースを空港に預けます。料金は1150バーツですが、30㎏以上あるスーツケースを転がしながらバンコク市内を往復することを考えると安いものです。空港からバンコク市内へ向かうエアポートリンクという列車を使い、マッカサンというターミナル駅へ向かいます。

 トゥンちゃんは、マッカサンの駅から徒歩1分のホテルを予約しています。僕とIさんは、Iさんの「バスタブ付きの部屋が良い。」とのリクエストで、スクンビットのSoi11にあるアンバサダーホテルにしました。最寄りの駅はBTSのナナ駅なのですが、マッカサン駅から地下鉄でアソーク駅(一駅)まで行き、BTSに乗り換えてナナ駅(一駅)まで移動しないといけないし、ナナ駅からほんの少し距離(200m)があるので、マッカサンからタクシーを利用することにしました。僕一人だったら、マッカサン駅からホテルまで1.5㎞ほどなので簡単に歩ける距離ですが、二人で地下鉄とBTSを使うとそれなりにチケット代がかかるので、近距離でもタクシーを使う方が費用対効果は高いです。日本でタクシーを使うことは贅沢な部類に入ると思いますが、バンコク市内は、2人以上5人未満の移動ならタクシーの方が安い場合があります。「渋滞のない時間帯ならば」という条件が付きますが…。

 マッカサン駅でタクシーを拾い、アンバサダーホテルに無事に到着しました。75バーツでしたが、80バーツを渡しました。現在のレートだと約320円です。アンバサダーホテルは、バンコクでは古い部類に入るホテルですが、バスタブがあり部屋も広く好立地なのに、比較的リーズナブルでコストパフォーマンスの高いお勧めのホテルです。BTSのナナ駅にも近いですし、Terminal21というデパートの隣接するアソーク駅にも歩いていけます。ホテル周辺はハラル料理のレストランが多く、中東方面からの観光客向けのエリアとなっています。

 ホテルにチェックインをして部屋に荷物を置いた後、もう一度Terminal21で待ち合わせをして、その中にあるタイ料理のレストランで夕食を摂った後に、マッサージに行くというトゥンちゃんにIさんを任せて、ようやく解散となりました。

つづく

7/29/2022

7月6日(水)(その12)

  朝、子ども達が登校した後の静かな食堂で短冊作りを始めました。A4の色紙を適当な大きさに切り、穴をあけて紐を通します。七夕飾りは、YouTubeを見ながら折り紙でそれらしいものを作っていきます。もくもくと作業をしたおかげで、お昼前にはある程度の準備ができたので、昼食はソムタム(青パパイヤサラダ)にします。

いつもなら朝5時に起きて子ども達の食事の準備をするクールが、めったに飲まない薬のせいでお昼前までぐっすりと寝ていました。そのおかげで元気に復活したようで、厨房での調理作業に加わります。その辺に生っている青パパイヤを採ってきて、細長く切り、卓上の臼を使って、トマト・インゲン・干しエビ・ピーナッツ・青唐辛子・ニンニク・ヤシ砂糖・マナオ・ナムプラーなどと和えれば完成です。タイのイサーン(東北地方)では、ここにサワガニなどを加えて、味に深みを出します。後は、カオニャオ(蒸したもち米)とガイヤーン(焼いた鶏)が揃えば、完全なイサーンスタイルの昼食ですが、今回は、ソムタムと朝食の残りです。

 午後、子ども達が帰寮する前に短冊を飾る竹を準備します。「カサロンの家」のスタッフのルンチュアイに鉈を借りて、適当な竹を探して切り倒そうとすると、手伝ってくれました。普段はあまり人との関りを持ちたがらない寡黙な年配の男性ですが、仕事はキッチリです。特に子ども達からの信頼も厚く、主な仕事は子ども達の送り迎えと家畜の世話などで、「ルンチュアイ」の「ルン」はおじいさん、「チュアイ」は助けるという意味なので、まさにお助けマンです。少し長めの竹を切り、枝を払って、適当な長さにして軒下に縛り付けました。あまり竹の背が高くても短冊を縛るのが大変なので3.5mくらいの長さにしましたが、軒端に揺れる感じは再現できました。そこに手際よく飾り付けをして、短冊もお手本で5枚くらい縛り、準備完了です。

 夕方、子ども達が戻ってきました。軒下の竹を見た小さな子たちはちょっとした興奮状態だったので、「まずは水浴びをして着替えてから。」と短冊を欲しがる子ども達を制します。いつもよりも早く水浴びをして戻ってきた子ども達に「なんでもいいから願い事を書くんだよ。」と短冊を3枚づつとペンを渡しました。小さな子ども達は、短冊に絵を描いています。大きな子は、「4がとれますように。」と日本語のひらがなで書きました。“4”は、日本でいうところの通知表の“5”に当たる数字で、成績の最高点です。これを短冊にスラスラと書いたので、ついさっき学校で同じことをしてきたばかりだと、すぐに分かりました。あとは、「歌手になりたい。」とか「お金持ちになりたい。」とか全世界共通の「子どもの夢」が書かれた短冊がたくさんできました。短冊を書き終えた子から順番に軒下の竹へぶら下げていきます。なんとなくそれらしくなってきました。明日の朝、学校へ行く前に皆で写真を撮ったらおしまいです。
つづく

7/27/2022

7月5日(火)(その11)

 トゥンちゃんが、台湾へ持っていくお土産を買いにチェンマイ市内へ行くというので、ついて行って七夕用の短冊を作るための色紙や飾りになりそうなものをついでに買うことにします。ですがそれらは、クールを病院へ連れていくことのついでとなりました。クールは朝から最高に調子が悪そうだったので、大事をとってまずはクールを市内の病院で降ろし、診察を受けている時間を利用して、買い物を済ませることにしました。

 ドイサケットから118号線を南西へ走り、Central Festival Chiangmaiというデパートのある交差点を右折して11号線を西へ向かいます。約3.2㎞進んだ右側にあるランナー病院は、緑色の大きな看板が目印で、環状11号線沿いの1号棟・2号棟とわき道を少し入った奥の3号棟に分かれていて、それぞれの施設間を無料のシャトルバスが走るほど大きな施設です。クッゲンは、今年の3月にコロナになった子ども達を車に乗せ何度もこの病院を往復しました。そんな、クッゲンはコロナに罹らなかった数名のスタッフのうちの一人です。もし、彼がコロナに罹っていたらと思うと、ぞっとします。

最近タイ国籍を取得した山岳少数民族出身のクールは、タイの医療保険制度についてあまり詳しくありません。診察料がいくらくらい必要なのかもよくわからない中でとても不安だと思いますが、そんなクールを一人病院に残し、他の人達は近くのロータスへ買い物に出かけます。まずはフードコートでお昼ご飯を食べてから、各々必要なものを買いに店内に散らばります。色紙・ハサミ・セロハンテープ・飾り用の金色の細いテープ・のりなど七夕飾りに必要そうなものを一通り購入し、もう一度クールを迎えに病院へ行きますが、まだ診察が終わっておらず、クールだけを残して一度「希望の家」へ戻ることにしました。寮母さんのいない「カサロンの家」の子ども達は、「希望の家」で「希望の家」の子ども達と一緒に夕食を食べることになったので、途中のドイサケット市場で夕食の材料を購入し、そのまま「希望の家」へ向かいました。そして、そこでクールからの連絡を待つことにします。午後3時には「希望の家」に到着したので、すぐに夕食の準備にかかります。今夜のメニューはクゥイッティアオです。一人3杯は食べるでしょうから、約150杯分の食材を準備します。高学年女子が手分けして作業します。Iさんも手伝います。クッゲンと僕は、到着後にすぐにクールから連絡が来たのでとんぼ返りで市内の病院へ向かいます。

クールは、すべてが終了しとても安心した様子でした。もちろんコロナでもありませんでした。そのまま、クールを子ども達のいない静かな「カサロンの家」へ送り届け、処方された薬を飲んでゆっくり休むように伝えました。

「希望の家」の食堂は、戦争状態に突入していました。子ども達から次々に入る注文をさばくのに必死で、スタッフは汗だくで働いています。ある男子高校生は、「5杯目だ。」と言っていました。 怖いですね。

夕食後、子ども達と一緒に「カサロンの家」へ戻ります。嵐のような一日でしたが、困難を乗り越えた後のちょっとした一体感の様なものが、心地よく感じる時もあります。今夜もぐっすり眠れそうです。

つづく

7/25/2022

7月4日(月)(その10)

 朝、子ども達は、あっという間に学校へ行ってしまいました。少し取り残された気分です。カサロンの家に滞在するときにいつも食事の準備をしてくれるクールさんの調子があまり良くありません。激しく咳き込んだり、喉がガラガラでうまく声が出なかったりします。少し心配なので、「僕たちの食事は自分たちで何とかするから、ゆっくり休んで。」と伝えました。幸い、カサロンの家の子ども達の食事についても、ここの女子高校生や希望の家から手伝いに来た大学生が上手に手分けして調理できますし、男性スタッフのサマーも協力して、この危機を乗り越えます。

 朝食は、夕食の残りとご飯と梅干で事なきを得ました。朝食後、毎週恒例の「カサロンの家」と「希望の家」の子ども達、総勢40名分の食材の買い出しです。クッゲンの運転する車でチェンマイ市内の市場まで行きます。Iさんが、カサロンの家の敷地内に生っているパパイヤを見ながら、「ソムタムが食べたいなぁ。」とつぶやいたばかりに、ソムタムを作ることになって、その材料も買うことになりました。朝のうちに、しゃべるのも辛そうなクールにソムタム作りに必要な材料を聞き出し、メモを取りそれをもって市場を周ります。まさに「はじめてのおつかい」です。あまり僕が手助けしても面白くないので、少し離れたところから楽しむことにしました。青パパイヤやマナオ(シークアーサーの様な柑橘類)やピーナッツなどはカサロンの家にあるので、トマト・干しエビ・ヤシ砂糖・青唐辛子・ナムプラーなど足りない食材の購入が必要ですが、トマトと青唐辛子は寮でも大量に使うのでクッゲンの買い物分から少し拝借することにします。Iさんは、タイ語も書いてあるメモ用紙を店の人に見せながら着実にミッションをクリアしていきます。この間、僕の頭の中には、B.B.クイーンズの「しょげないでよBaby」がずーっと流れています。

 お昼前には買い出しは終了したので、昼食をカサロンの家の近くのクゥイッティアオ(タイ風の米麺)屋さんで食べました。こういう庶民派の食堂には、ナムプラー・唐辛子入りの酢・粉末唐辛子・砂糖の計4種類の調味料がたいてい常備されていて、自分の好みの味付けにできるようになっています。僕がタイに来だした初期の頃は、「麺類に砂糖?」と思っていましたが、今では、自分の味が確立され、砂糖抜きでは物足りなさを感じるほどになってしまいました。タイ料理は本当に奥が深いです。

タッサニーさんの娘さんが今日、職場のあるチェンライからチェンマイに戻ってくることを思い出してしまいました。娘さんには、日本で購入を頼まれたものを渡すという重要な用事があったので、バイクを借りて「希望の家」へ行くことにします。タッサニーさんの娘のトゥンちゃんは、すでに希望の家に戻ってきていました。トゥンちゃんと言ってももう30歳代後半です。チェンライの大学で教授をしていますが、ここ数年は台湾で教鞭をとっていました。コロナ禍になり1年ほど前にようやくタイへ帰国することができましたが、また、78日から短期で台湾へ行くそうです。そんなトゥンちゃんに日本での購入を頼まれたものはポケモンのフィギュアでした。バンダイの1300円のガシャポンのおまけで、1シリーズ4種類が第15弾まで出ているのですが、あと3シリーズ揃えばコンプリートするそうです。どんなものでも、揃え始めは気楽にスタートできますが、ある程度まで揃ってしまうとやめるにやめられなくなるのは世の常です。切手や箸袋など、世の中にはコレクターと呼ばれる人が大勢いますが、その心理をうまく利用したビジネスモデルは、今後も衰退することなく続いていくことでしょう。というわけで、1300円のフィギュアを4個×3シリーズの計12個、金額にすると合計で3,600円とたいしたことないように思われます。しかし、ガチャガチャの恐ろしいところは、どれが出るのか分からなく、4種類すべて揃えようと思うと、確率論の話になってしまうところです。しかも、ちょっと前のシリーズはすでに廃盤になっていますので、定価での入手は確実に不可能です。結局、購入のすべてをネット通販に頼り、トータルで10,000円近くかかりました。僕にとってはムダな出費でも、トゥンちゃんにとってはとても意味のあるものです。ですので、このフィギュアに本当にそれだけの価値があるかどうかは本人にしか分からない世界なのです。宗教と同じで実態のない心の問題なので、あまりとやかく言わない事にします。 結果、トゥンちゃんは、僕にプライスレスの恩を受けたことになります。しかし、人は、受けた恩をすぐに忘れてしますので、僕は、トゥンちゃんに会うたびになるべくこの恩を忘れないようにこの話題を持ち出して、効果を最大限まで引き延ばす努力をします。そして、単純に費用対効果では測れない、しがらみという名の繋がりができ、腐れ縁となっていくのです。 怖いですねぇ。

 夕方、外で夕食をという事になり、僕とIさんとトゥンちゃんとグッゲンと希望の家の女子大生の5人でドイサケットにあるピザレストランへ行きました。ドイサケットの田舎には似つかわしくない西洋風の店構えですが、客層もそれに倣ってドイサケットに暮らす年配の西洋人ばかりでした。本格的なピザをタイの田舎で食べられるのは凄いことですが、値段もそれなりなので、タイ人にとっては普段から気楽に食べにいくという感じではなさそうです。会計は、軽く1,200バーツを越えてしまいました。 怖いですねぇ。

 夜のミサで、ある女の子から、「七夕」について質問されました。「なんでそんなこと知ってるの?」と聞き返すと、「今日、学校で先生から教えてもらった。」との事でした。中学生と高校生が5月から新しく通いだしたサンカムペーン学校には、日本人の先生が一人と日本語の話せるタイ人の先生二人が在籍しているらしく、最近、日本の学校ではあまりやらなくなった「七夕」について勉強したようです。明日は7月5日なので、まだ間に合います。竹は敷地内にいくらでもあるので、あとは短冊と飾りを用意すれば「七夕まつり」ができます。

つづく

7/22/2022

7月3日(日) (その9)

 朝からバタバタです。お昼からのオンライン交流のシミュレーションで頭の中がいっぱいいっぱいになっていますが、それまでに片付けておかないといけないことが山ほどあります。こちらの高校生一人一人へ、オンライン交流を午後1時から開催することの周知と15分前集合、英語での自己紹介の心づもり、交流会の要点などを連絡します。こういう場合、一番しっかりしたリーダー的な学生にまず伝え、少し時間をおいて、一番年下の学生に確認すると、ちゃんと伝わっているかわかります。司会進行を英語のできる希望の家のスタッフにお願いし、僕は裏方に徹します。そのナモー(ソロモン)君は、日曜日のミサなどの司会を一人でこなす優秀なスタッフです。特に、以前行っていた交流ツアーで、「カサロンの家」での最後のお別れの時、英語のできる日本人学生のスピーチはそれをそのままタイ語に訳して子ども達に伝える役をするのですが、日本語でのスピーチの場合もなんとなくニュアンスを読み取ってタイ語に訳すという芸を彼は持っています。なんでも適当にやってのける能力があり、信頼できる一人で、今回のようなイベント時にもとても役に立つ人材です。

 10時半、「希望の家」の2階の大広間で日曜のミサが始まりました。この会場でオンライン交流会を行うので、終了時間が気になって仕方ありません。エアコンのある部屋がここだけなのです。午後1時(日本時間午後3時)に交流会がスタートなので、お昼を食べる時間を考えると、12時にはミサを終わらないといけないし、終了後すぐにお昼ご飯を食べられる状態でないと間に合いません。ドキドキです。11時半、調理担当のスタッフがミサを抜けました。いい感じです。1145分、ナモー君が締めに入りました。この後の予定を子ども達に説明していきます。「高校生は、オンラインミーティングがあるから、1245分には、ここに集まるように。」と伝えています。「さすがナモー!」いい仕事をします。ミサが終了し、子ども達が食堂へ移動し始めました。僕は一人残り、コンピューターやプロジェクターやカメラやマイクのセッティングをします。この日のために、ノートPC2台とカメラと広い範囲の音の拾える高性能マイクを日本から持ち込みました。あらかじめWi-Fiのパスワードは聞いてあったので、インターネットへの接続も確認しておきます。1220分、準備完了です。このままにして昼食に向かいます。

 1245分、高校生が集まってきました。全員に英語での自己紹介をしてもらうことをもう一度伝えます。日本側には、接続テストのために、1250分くらいにはオンライン会議室をオープンしてくださいと事前に伝えてあったので、1250分に入室しました。画像と音声の確認が済み、あとは時間になるのを待つだけです。

 午後1時、オンラインイベントのスタートです。まずは日本の高校生の司会進行です。オンラインで時差があるのと緊張で、あまりスムーズではありませんでしたが、とても一生懸命さの伝わってくる見事な司会っぷりでした。お互いの自己紹介の後、日本の学生が、パワーポイントで作った学校の様子や学生生活や自分たちの活動紹介などを画像も入れ込んだスライドで次々に紹介していきました。タイ側は、寮の様子や通学風景、普段の寮生活、昨日の田植えなどを紹介しました。その後、お互いに質問タイムとなり、学校への通学方法などで、お互いの国の違いを認識し合っていました。予定は1時間でしたが、とても盛り上がったので1時間もオーバーしてしまいました。無事に終わって何よりでした。

 これで、今回の渡航のミッションはほぼコンプリートです。後は、何事もなく日本に帰国するだけです。ですが、まだ7日も残っています。どっと疲れたので、この日のこの後の記憶はありません。

つづく

7/20/2022

7月2日(土) (その8)

 5時、下のベッドからゴソゴソと音がするので、もうすぐドーイクンターン国立公園駅に着くのでしょう。上段のベッドには窓がないので、外の様子がわかりません。多分、まだ外は暗いのだと思います。もう一度目を閉じて、そっと下からの音を気にしていると、いつの間にか寝てしまいました。駅に着いたら「がんばって。」とあいさつをしようと思っていたのに、気づいた時には下は蛻の殻でした。朝7:15がチェンマイ駅の到着予定時刻なので、あと2時間です。完全に目が覚めたので、ベッドを椅子の状態に変えてもらい、ゆっくりと車窓を楽しむことにしました。小腹がすいたので、だんだん上ってくる朝日を見ながら、昨夜のサンドウィッチの残りを水で流し込み、おもむろにKindle(電子ブック)を取り出し、村上春樹ではなくDr. STONEを読み始めました。もちろんマンガです。最近、老眼がひどく車内などの暗がりで読む文庫本などはほぼ文字を識別できない状態なので、電子ブックの文字を最大にして読んでいます。文字が大きいという事はページをたくさんめくらないといけなくなり、1冊読み終わるまでに相当時間がかかりますが…。

 定刻の715分、列車はチェンマイ駅に到着しました。まさか、タイの列車が予定通りに着くなんて。お迎えの時間を9時から10時と伝えたことを少し後悔しました。駅構内の食堂でゆっくりと朝食を食べていると、突然、周りの人たちが立ち止まりました。毎日、朝8時と夕方6時の国歌の時間です。僕たち日本人も敬意を払うためゆっくりと立ちます。公共の場所では、この決まりが今でも生きています。もちろん運転中などは無理ですが、街中を歩いているときは大抵の人が起立の姿勢で国歌が終わるまで待ちます。歌が終わると人々が動き出す様が最高にシュールで好きです。朝食を食べ終わってもまだ時間を持て余したので、外のカフェでアイスラテを注文しました。もちろんいつお迎えが来てもいいようにテイクアウトスタイルです。9時になってようやくお迎えが来ました。いつものクッゲンです。ですが今日はシンガポール人の彼女を助手席に乗せていました。この子ともチェンマイに来るたびに何度かあっているので、すでに顔見知りです。シンガポールも旅行が解禁され、タイとも自由に往来ができるようになったそうです。久しぶりの彼女との再会を邪魔してごめんなさい。

 カサロンの家へ行く前に、飲料水やちょっとした食べもの、シャンプーや石鹸などを買うためにコンビニエンスストアに寄りました。そこでシンガポール人の彼女が、クッゲンのためにコカ・コーラを買おうとしたので、Iさんの持っていた買い物カゴにそっと入れておきました。カサロンの家に到着し、新築の建物の前に車が止まりました。Iさんは1階のVIPルームに、僕は2階の図書室にそれぞれ寝ることになりました。この建物は、2021年に完成し、キャンヘルプタイランドも2階の内装工事費用として約50万円を支援しました。完成状態を見るのは初めてですが、すごく快適そうで、1階はゲストルームと女の子の部屋、2階は図書室や学習室として使える大広間となっています。2005年に土の家(手作りレンガの家)1棟からスタートした「カサロンの家」が今では、食堂も合わせると建物だけで6棟、鶏小屋兼豚小屋、牛小屋、井戸水施設など、たった20年弱でかなり進化しました。子ども達は入れ代わり立ち代わりですが、歴史を刻むという事は本当に素晴らしいことです。

 10時少し前に「カサロンの家」に到着したのに、10時過ぎには、「希望の家」の方へ行くことになりました。「カサロンの家」は、キャンヘルプタイランドが2005年に建設しYouth Charity FoundationYCF)が運営する山岳部に暮らす少数民族の子ども達のための学生寮で、「希望の家」は2000年頃に、当時金沢大学の教授だった大森絹子さんとYCF代表のタッサニーさんが開設したエイズ孤児のための孤児院です。大森さんは、志半ばにして肺がんで亡くなられてしまいましたが、その意志を受け継いだタッサニーさんが一人で両施設合わせて約40名の子ども達の面倒をみてきました。「希望の家」の内容は、「スマイル」(高木智彦著)に詳しく書いてありますので興味のある人はぜひそちらをご一読ください。

 「カサロンの家」と「希望の家」は姉妹寮なので、距離的にはそんなに遠くありません。チェンマイ県ドイサケット郡の田舎道をくねくねと2㎞ほど走ると到着します。「この道が一番好き」とIさんが言っていました。「希望の家」に到着すると、子ども達は田植えの真っ最中でした。ようやく雨が降り、用水路に水が来たので、このタイミングを逃さないように、人海戦術で一気に行います。「カサロンの家」で苗を作り、それを小さな子ども達が11本手で抜いてひとまとまりにし、それを「希望の家」の裏にある田んぼまで運び、比較的大きな子たちが23本をまとめて手で植えていきます。「田植え機を使えばすぐに済むじゃん。」というご指摘もありますが、これにも教育的な要素があります。5月に一人23本の苗を植えて10月に一株か二株を鎌で収穫し、その後に大きなおにぎりを食べる日本風の田植え体験とは違い、まさに本物の授業ですが、子ども達は特に嫌がることもなく和気あいあいと作業をしています。僕も、見ているだけでは申し訳ないので、ほんの少しだけ田植えを手伝いました。Iさんは、見ているだけでは申し訳ないのでと大量のジュースの差し入れをしてくれました。できる人ができることをするのがボランティアです。

 明日はいよいよ、今回の渡航の2番目の目的、「名古屋の高校生とカサロンの家・希望の家の高校生とのオンライン交流」本番です。事前に連絡してあったので、ちゃんとこちらの学生たちも心の準備ができているのかと思って、夜にカサロンの高校生に確認してみたら初めて聞くような顔をしていてちょっと焦りましたが、まぁ、想定内なので、明日全力で準備します。

つづく

7/19/2022

7月1日(金)(その7)

 朝、友人がタンブン(お布施)に行くというので付き合います。友人は、5年以上ずっと寝たきりだったお母様を最近亡くされ、今は喪に服す期間なので毎日のお布施と仏壇前での読経を欠かしません。少し歩いて小道を入ったところで待っていると、お坊さんがやってきます。お供え物を鉢に入れ手を合わせると、自分だけのためにお経を読んでくれます。その行為にどんな意味があるのかではなく、その意味は自分自身が感じとるのです。お昼前に今度は自宅の仏壇?の前で友人が一人でお経を読んでいました。そっと後ろに座って聞いていると、とても心地の良い気分になりました。お経に限らず宗教的な音楽のリズムには少なからず癒し効果があるのでしょう。

 夕方5時、フォアランポーン中央駅まで、友人が送ってくれる予定でしたが、なんだかバタバタと忙しそうだったので、自力で行くことにしました。家の前でタクシーを待っているとトゥクトゥクが停まったので、値段交渉をして乗り込みます。この金曜の夕方に街の中心部まで70バーツで行ってくれるそうです。タクシーはエアコンの涼しさがありますが、トゥクトゥクには自然の風の涼しさがあります。排気ガスが臭いですが、これがバンコクです。夕方6時少し前にバンコク中央駅に到着しました。改札を抜けホームを歩いていると、目の前に見慣れた二人組が歩いていました。そっと後ろに付いてもしばらく気づかずそのまま歩き続けていました。「食堂車はないんだって。」と後ろから自然に会話に入っていくと、特に驚きもしませんでした。本来ならIさんはムさんの家の近くの駅から同じ列車に途中乗車する予定でしたが、心配だったのでムさんがここまでタクシーで連れてきたようです。ここからはIさんと僕の二人旅が始まります。ムさんは、この後74日から9日まで日本で通訳の仕事があるそうです。Iさんの早口はムさんにとって2年間使う事の少なかった日本語のかなりのリハビリになった事でしょう。4号車はかなり前方なのでホームを相当な距離を歩かされました。ですが、チェンマイ駅は終着駅なので、ここで歩いておけば、チェンマイ駅で歩く距離が少なくなるという事です。とりあえず荷物を座席に置き、夕食について考えます。食堂車がないことが予定外でしたので、ムさんとIさんはもう一度食料をゲットするために来た道を戻るそうです。荷物を見ておく人が必要だからと、僕は列車内に残りました。もう往復で300mも歩きたくありません。Iさんに「気の利いたものを買ってきて。」とお願いしておきました。しばらくすると、ムさんとIさんが戻ってきました。気の利いたものはサンドウィッチでした。3等車が連結されていればムさんは途中まで一緒に行けたのですが、あいにく1等車と2等車のみの列車だったのでここでお別れです。Iさんがお世話になりました。

 列車は18:10の定刻通り発車しました。車内は西洋人と台湾人と飛行機嫌いのタイ人と日本人でほぼ満席でした。特にどこか北欧の国の数組の家族連れが8名で乗り込んでいました。グループなのに席がバラバラの様だったので、いろいろな乗客に席の交換の交渉をしていました。もちろん僕もその対象となりました。2段ベッドの上と下では料金が異なるのですが、僕は安い方の上側だったので、気楽に交渉できたのでしょう。これで検札が来るまで落ち着いてゆっくりしていられなくなってしまいました。まだ、寝台の状態にはなっておらず、椅子が上と下の人で向かい合っているのですが、安い方(上)の人は進行方向とは逆を向いて座り、高い方(下)の人は進行方向を向いて座る事になっています。僕が移動してきた番号の高い方(下)の席の人は、タイ人の青年で大きなリュックにいろいろ詰め込んで「今からトレッキングに行きます。」といういで立ちでした。これからチェンマイの彼女に会いに行くというストーリーは想像もできません。話しかけてみると、「これからランプーンとランパーンのちょうど中間にあるドーイクンターン国立公園へトレッキングに行く。」という事でした。ちょうどその国立公園へ行く人のための駅があるので、そこで明日の早朝に下車するそうです。今日は金曜日なので、仕事帰りに寝台列車に乗り、土曜日の早朝に駅に着いたらそこからのんびり国立公園を散策しながら景色の良い頂上まで行き、そこで1泊したのち、日曜の夕方までに下山してまた国立公園駅から寝台利用で月曜の早朝にバンコクに戻るというコースだと思われます。テントや寝袋を入れると、1泊でも5泊でも荷物の量はそう変わらないので、どのみち大荷物になってしまうようです。タイ・カンボジア2週間の僕の荷物よりかなり大きめのリュックでした。そうこうしているうちに検札が来て、場所が違うことを指摘されましたが、「あそこの外国人と席を代わった。」と伝え事なきを得ました。これも旅の醍醐味です。ベッドメイク係の人に座席をベッドに変化させてもらい、2段ベッドの上段へ潜り込むと夜9時頃には寝てしまいました。トイレに起きたのは夜中の1度だけですが、その時は長時間停車していたので、たぶん時間調整のためでしょう。

つづく

7/18/2022

6月30日(木)(その6)

 朝5時、お腹が空いて目が覚めたので、昨日のベトナム料理の残りを食べました。一晩寝かせても十分美味しかったので星3つです。シャワーを浴び、身支度を整えて、7時前にホテルを出発します。今日は、2つの学校を訪問してからバンコクへ戻ります。ホテルを出て、2日前にも通った317号線を南下します。途中、ワッタナコーンの市場に寄り、簡単なスナック(串焼きの豚ともち米)を買ってムさんとIさんの朝食にしました。僕は高級ベトナム料理ですでにお腹がいっぱいです。

 2002年にワークキャンプを実施したバンサイトーン学校は3259号線沿いにあります。そうです、2日前にこの学校の前を通過したばかりです。校庭には大きな木がたくさんあり、先生方の職員室はいつも木陰に置かれたベンチです。門を入ってすぐの左側にある比較的新しい2階建ての校舎の前に車を停め、いつも先生方が座っているベンチの方へ歩き始めると、一人の先生がこちらに気づき、慌てふためいていました。まさに「慌てふためく」という単語を聞いたら、100人中100人が想像できる「慌てふためき様」でした。この先生も2002年当時からいる先生で、日本人のいたキャンプ中はお腹が大きくて、その時に生まれた子がもう二十歳という事です。校長先生は新しく若い先生に代わっていましたが、まだ、3名の先生が当時のままこの学校に在籍していました。ここでは図書館を建設しましたが、雨漏りで一部の天井が抜け落ちていました。まぁ、20年も経つとそうなります。でも、毎回こうやって突然視察に来るので、いつ見られてもいいようにすぐに修理されると思います。お昼を一緒に食べようと誘われましたが、次の学校へ行かないといけので、上手に断りました。この学校へ来ると、どうしても滞在時間が長くなるので、先にしておいて大正解でした。10時半においとまします。

 317号線を北上しカオチャカンまで戻ります。3035号線を左折し5056号線へ右折すると約4㎞で2007年にワークキャンプを実施したバーンクローンタンマチャート学校です。ここでは幼稚園校舎を建設しました。その頃の校長先生が最近亡くなられたという情報は、バンサイトーン学校の先生から聞いていたので、もう会えないのは少し寂しいですが、当時の先生方も数名残っているとの事で、建設した校舎を少しだけ見せてもらって帰ることにします。学校に到着して校内を歩いていると、当時いた先生が対応してくれました。幼稚園は若い先生ばかりだったので、キャンプの当時の事は知らないと思いますが、この幼稚園校舎は、まさしくキャンヘルプタイランドが建てたものです。新しい校長先生は不在でしたが、なんと、当時からいた女性の先生が校長に昇格していました。あまり長居するのも何なので、30分ほどの滞在で切り上げました。

 一応、これでバーンライサムシー学校の1校を残し、サッケーオ県でのワークキャンプ実施校は大体周れたので、バンコクへ戻ることにします。残りの学校は、また次回という事で。

 時刻は11時半です。お昼をどこで食べるかという問題が出てきました。とりあえず、ここから17㎞ほどのところにあるガソリンスタンドで休憩を取りながら考えようという事になりました。ガソリンスタンドでアイスラテを飲みながらいろいろと食事のとれる場所を探しましたが、Iさんが突然、「バンコクから来る途中の路肩で大きなメロンのオブジェを見た。」といいました。ムさんがスマホで検索すると、「บ้านเมล่อน เดสเสิรท」(メロンの家)というこじゃれたレストランだとわかりました。ここから約70㎞なので、1時間ほどの距離になります。予定到着時刻が午後1時なので、少しだけ遅い昼食になりますが、空腹より好奇心が勝ります。このガソリンスタンドで少しだけスナックを食べて、次の戦いに控えます。

 予定時間通り「メロンの家」に到着しました。ハウスメロン栽培とレストランが併設されたレストランで、メロンを使ったデザートがメインですが食事もできます。店内にはメロン直売所もあり、「まずはレストランで味見をしてから、気に入ったら買って帰ってね。」という事です。外観や内装や料理など、すべてがSNS映えを狙った作りですが、バンコクからはちょっとした小旅行の距離なので、日帰り観光客を取り込む戦略でしょう。本題の味はと言うと、日本で食べるメロンの方が断然おいしいですが、バンコクから2時間かけてくれば、それだけで5割増しという事です。

 午後2時、「メロンの家」を出発し帰路につきます。途中でスコールにあいましたが、スワンナプーム空港の手前まで、僕が運転してきました。さすがにバンコク市内の運転は怖いので、給油ついでにムさんと交代します。この調子なら午後4時にはバンコクの目的地に到着します。今夜は、Iさんはムさんの家に泊まり、僕はバンコクの友人の家に厄介になります。そして、明日の夕方の寝台列車でチェンマイへ向かうことになっています。

 友人の自宅前まで、ムさんに送ってもらいました。バンコクに暮らすその友人は、1996年頃のワークキャンプの通訳としてお世話になった人で、それからの付き合いなので、もう25年以上です。旅行会社を経営しているのですが、コロナ禍で売上が落ち込み大変だったと思います。ですが、持ち前のバイタリティーで何とかこの荒波を乗り切っています。実は今夜、その友人と食事会があるので、ムさんにIさんのお世話をお任せしたのでした。食事会と言っても、若手の男性歌手のディナーショーです。僕の友人も、どうしてもその歌手の歌が聞きたいのではなくバンコクの経営者ネットワークのお付き合いというスタンスなので、僕を一緒に連れていくのは、日本人を同席させて、「コロナ禍でも日本とのネットワークは途絶えていないぞ。」というアピールのためでしょう。お互い持ちつ持たれつの関係です。最後には、キャンヘルプタイランドの西川会長も呼び出してくれたので、約1か月ぶりに再会することができました。

つづく

7/17/2022

6月29日(水) (その5)

 早朝4時半(日本時間6時半)、自然に目が覚めたのでシャワーを浴びて、なんとなく外を見るとまだ暗いので、もう少しだけゴロゴロします。お腹も空いてきたしやることもないので、まだ薄暗い中、少し外に出てみることにしました。2年前はちょっとしたカフェブームだったので、どこでも甘~いアイスラテを飲むことができましたが、コロナ禍になって営業が立ち行かなくなったのでしょうか、カフェスタンドはほぼ全滅していました。準備中のレストランの人にアイスラテの頼めるところはないかと聞くと、「すぐに作ってやるからちょっと待ってろ。」との事でした。注文の品を受け取り、1ドルを支払うと、お釣りは返って来ませんでした。そういう事です。ホテルに戻ると、Iさんがすでにロビーで待っていました。まだ545分です。アンさんは割と時間に正確なので、6時までは来ないと思いますが、Iさんを一人で待たせておくわけにはいかないので、急いで部屋に戻りチェックアウトしました。

 6時過ぎにアンさんが現れました。朝食がまだだったので、近くのレストランで僕とアンさんは豚ご飯、Iさんはおかゆを食べました。ここは以前にも来た覚えがあるので、アンさんの行きつけのお店のようです。途中、知合いのガソリンスタンドで給油をしてから、ポイペトへ向かいます。アンさんがガソリン代を受け取ろうとしないので、ダッシュボードに無理やり30ドルを置いておきました。車は59号線を北上し、マライという街から進路を東にとって、最後に少しだけ北上すると、ポイペトとシェムリアップを結ぶ国道5号線に突き当たります。右に進むとシェムリアップ、左に進むとポイペトという主要な交差点で、乗り合いタクシーの中継場所となっています。僕たちは、ここでアンさんと別れ、自力でポイペトへ行くことにします。アンさんは、「片道15分くらいだから送っていく。」というのですが、往復で30分のロスタイムになるので、かたくなに遠慮します。ポイペト付近は大渋滞が予想されため、普通乗用車ではかなり無理があります。この交差点で小型の3輪タクシーに乗り換えて、ポイペトに向かいます。3輪タクシー(トゥクトゥク)は、5号線を順調に西に進み、8時前にはポイペトの街に入ることができました。予想通りの大渋滞でしたが、トゥクトゥクは車の隙間を縫って進んでいきます。国境に到着し、運転手に10ドルを支払いました。約10㎞の距離が1,360円となります。

 いよいよカンボジア出国となります。出国審査場も新しい建物になっていたので、案内板を見ながら進んでいきます。2階へつづく階段を上り審査場のドアを開けると結構な列ができていました。カンボジア人もタイ人も外国人もすべてここを通過しないといけない様です。列に並んでいると、一人の審査官が声をかけてきました。パスポートを見るや否や、「タイの法律でカンボジアに5日以上滞在しないと、タイへの陸路での入国は拒否されるかもしれない。」の様なニュアンスの事を言ってきました。しかも、「トライ!トライ!」とも言っているので、そんな不確定な情報をこの期に及んで提供するなという感じです。「もしタイに入国できなかったら、どうしたらいいのか。」と尋ねると、「まぁ、何とかカンボジアに戻れるようにしてやるから、なんかあったらここへ連絡しろ。」とQRコードを見せてくれました。何か役に立ちそうだったのでLINEを交換しておきました。ようやく順番が回ってきたので、パスポートとワクチン接種証明書とビザのコピーを審査官に渡すと、どうやら滞在1日というのがネックだったらしく、「カンボジアへ何しに来たんだ?仕事か?」「どこへ行った?」などと質問されたので、「僕は日本のNGOのスタッフで、バッタンバン州のサンパオルンという小さな町で、奨学生30名に奨学金を渡すため、昨日タイからカンボジアへ入り、そこで午後1時から郡長さんなどを招待して奨学金授与式を開催しました。その後サンパオルンのホテルで1泊してから今ポイペトまで戻ってきたので、そのままタイへ渡ります。」とは言わずに、「シェムリアップで観光してきた。」とだけ伝えて事なきを得ました。本当のことを説明するのは、僕の英語力ではまず不可能ですし、審査官をさらに混乱させてしまいます。嘘も方便という事で、まずは第1関門突破です。

 次は、タイへの入国審査です。カンボジアの出国審査の建物を出て道路を横断し、タイの入国審査場を目指します。入国審査の前にタイランドパスの確認があり、パスポートとタイランドパスとワクチン接種証明書の提示を求められました。タイランドパスは事前にネットで陸路入国用のものを申請し取得しておいたので特に問題はありませんでした。2階へ上がり、次はパスポートコントロールです。こちらは比較的空いていました。どうやらカンボジア人には、別のルートがあるようです。この入国審査でもひと悶着ありました。タイを昨日の日付で出国し1日で戻ってきているので、どう考えても運び屋の行動です。「カンボジアへ何をしに行った?」とか「職業は?」とかいろいろと質問され、おまけに「今日はどこに泊まる?」「今後の行程は?」など、根掘り葉掘り聞かれたので、「今日はもう疲れたから、アランヤプラテートのホテルに泊まって、その後バンコクで1泊してからチェンマイへ行って、5日ほど滞在した後にバンコクに戻り、710日の飛行機で日本に帰る。ただの観光だ。」と帰国便の航空券のバウチャーを見せながら畳みかけると、「面倒くさいなぁ。」という顔で入国のスタンプを押してくれました。同行しているIさんにとっては、ハラハラドキドキの連続だったでしょうが、一生忘れられない思い出になったことと思います。

 朝9過ぎ、ようやくタイの地を踏むことができました。ここまでたったの3時間の出来事です。とにかくどこかエアコンの効いたところで落ち着きたいと思い、辺りを見回すと、小さなCafé Amazonが開いていました。なだれ込むように中に入り、甘くないアイスラテを注文し、席に座りました。ようやく一息付けたので、まずはムさんに迎えの連絡と、カンボジア人審査官へLINEへの返事をしました。この審査官のLINE情報を見てみると、家族の写真ばかりで特に悪い人ではなさそうなので、ただ純粋に親切心から忠告してくれたのだと思いました。次回からこの縁を有効活用させてもらいます。ムさんには事前に「10時頃に国境を越える予定」と伝えてあったので、「カフェでお茶していますので、ゆっくり来てください。」とだけ伝え、のんびり到着を待つことにしました。

 30分後の10時ちょっと過ぎ、ムさんが予定通りお迎えに現れました。ここ20年のタイの変化で一番気になっているのは、物価の上昇でもなく、街中にポイ捨てのゴミが見当たらなくなった事でもなく、すべての事が時間通りに進むという事です。その最たるものが、列車の運行時間です。長距離列車なら平気で23時間は遅れていたのに、今はほぼオンタイムです。また、待ち合わせの時間に関しても、10時と言っても平気な顔で11時に来る国民性だったのに、今は10時と言ったら10時なのです。タイ国民すべてが時間に管理されるようになるのは本当に幸せな事でしょうか。時計を気にしながら暮らすのは本当に豊かな生活と言えるのでしょうか。タイ人のマイペンライ(何とかなるさ)の精神が失われていくようで、なんだか寂しい気持ちになりますが、そんな変化もきっとマイペンライなのでしょう。

 ムさんの運転で、2002年支援のバンノンサメット学校を訪問します。この学校は、Iさんが初めてのワークキャンプで訪れたところで、いろいろと思い出深い体験をしたことと思います。カンボジアとの国境に接する村なので、キャンプ中の夜は銃を持った警備の人が常駐するというような危険な学校でしたが、今となっては良い思い出でしょう。校長先生は新しい人に代わっていましたが、ワークキャンプ当時からの先生もいらっしゃり、突然の訪問にもかかわらず、大歓迎してくださいました。学校の先生方曰く、キャンヘルプタイランドで建設した2階建ての校舎は、コロナ禍の休校中に患者の隔離施設としても利用され、村人総出で炊き出しをしたり、いろいろなケアをしたりして尽力したそうです。先生方や村人にとどまらず、世界中が一丸となってコロナと戦うというのは、ちょっとした感動すら覚えます。数年前の訪問時に、近くにある遺跡の学生ガイドとして正式な資格を取った女の子に、その遺跡を案内してもらったことがありました。「その子は今、どうしていますか?」と何気なく聞いてみたら、「数年前に、その遺跡の正式ガイドとして就職をして、さぁこれからというときに病気で亡くなってしまった。」と先生が教えてくれました。人生というのは、こんなものなのでしょうか。

 昼食をご馳走になり、学校内をいろいろと見て回った後、訪問記録に記帳をしてから、記念撮影をして学校を退散しました。ここからは僕の運転で、2009年支援のバンタイサマキー学校を訪問します。

 田舎の道を快適に飛ばし、30分後には、タイサマキー村に到着しました。この学校では、壁がなく多目的に利用できるホール兼体育館のようなものを建設しました。優秀な美術の先生が在籍していて、教え子が日本のMOA美術館児童作品展などで入賞し、美術室には外務大臣だったころの岸田さんからの表彰状も飾られていました。この先生は、今は単身赴任状態で、もうすぐ奥様の暮らすパタヤの方へ転勤されるそうです。タイサマキー学校にとっては、かなりの痛手になりそうで、少し残念で仕方ありません。次にこの学校に来たときは、もうこの先生はいないのかと思うと少し寂しいですが、建物にペイントされたC.A.N.H.E.L.P.Thailandの文字は残り続けてくれるでしょう。

 午後4時過ぎに学校を後にし、今日はサッケーオ市内のホテルに泊まります。3395号線を南西に向かって走り、ワッタナコーンの交差点を右折して33号線に入ります。約76㎞の距離をまた僕が運転します。夕方5時頃到着予定なので、ホテルの部屋で少しのんびりしてから夕食に出かけるという事にしました。

 夕食は、ベトナム料理の有名店「ร้านยายเต็ม อาหารเวียดนาม」にしました。「テムおばあさんのベトナム料理店」と訳すそうです。このお店は、料理もさることながら内装もすごくこだわっていて、平日の夜でも大繁盛でした。残ってしまった生春巻きなどは、持ち帰って翌日の朝食になりました。

7/14/2022

6月28日(火) (その4)

  朝食はお弁当だったので、フロントへ取りに行き部屋で食べることにします。ちょっとピリ辛のガパオライスでしたが、ペロリと完食しました。お弁当の袋の中にはガパオライスのほかに、口の中の水分をすべて持っていかれそうなクラッカーと、どう見ても小児用風邪薬としか思えない真っ赤な飲み物らしきものが付いていました。勇気を振り絞って飲んでみると想像通りの味で、テンションが下がりました。

 8時過ぎにホテルをチェックアウトし、2015年にワークキャンプを行ったバーンカオディン学校を目指します。昨日の317号線を南下し、3259号線を東に進むとクローンハートの街にぶつかります。そこからクローンハートの街を1.3㎞ほど超えたところを右折して2.5㎞ほど進むとカオディン村に到着です。

 バーンカオディンは、カンボジアとの国境に接する位置にある小さな村ですが、昔からある村ではなく、カンボジアの内戦終結後に政策的に作られたもので、村の道路はすべて直角に曲がっています。各家庭には、空襲から身を守るための防空壕(バンカー)があり、学校の敷地内にも生徒を守るための大きなバンカーがあります。キャンヘルプタイランドは、2015年にこの学校で図書館を建設しました。

 今回の旅行に関して、事前にムさんと綿密な打ち合わせを行い、無駄のないスケジュールを組み上げました。カオディン学校のすぐ近くにはタイとカンボジアとの小さな国境があり、その国境が最近、正式な国境になったという発表がありました。正式な国境になったというのは、以前はその周辺に住んでいるタイ人なら自由に行き来できたのが、それ以外の人でも行き来できるようになったという事です。タイのホームページにもちゃんとそのようなことが記してあり、また、カンボジア側の協力者にも確認したところ、ワクチン接種証明書があればカンボジアからタイへ入国もできるとの事だったので、その国境を利用する計画を立てました。そこを越えれば、カンボジア側の支援地域のサンパオルンは目と鼻の先です。カンボジア側で午後1時からの奨学金授与式を設定し、それに間に合うように午前9時頃にカオディン国境を渡れば、サンパオルンの街でお昼ご飯を食べてからゆっくり授与式会場へ行けるという比較的余裕のある予定の立て方でした。

 カオディン学校の校長先生は不在でした。2015年にこの校長先生の口利きでカンボジアへ入り、カンボジア軍の車(ハマー2)に先導されながらサンパオルンの街や学校を見学させてもらいました。もし、国境が外国人に対してオープンになっていなかったら、校長先生に頼んで少しだけカンボジアへ入れてもらおうという計画は実行不能になりました。学校にいた先生方にワークキャンプで建設した図書館を少しだけ見せてもらい、その後、すぐに国境へ向かいました。ムさんはカンボジアへはついてきませんが、国境での通訳は手伝ってもらえることになっています。

 カオディン学校から直線で2㎞の距離にある小さな国境に到着し、車を停めて歩いてカンボジアへ渡ります。まずは、タイの出国審査です。パスポートを見せながらどこへ行ったらいいのかと聞いたら、国境にいた係の人が何やら慌てて電話をしだしました。そして、「この国境は、まだ外国人には解放されていない。」という一言を発しました。午前920分の事です。下手にごねても時間の無駄なので、すぐにプランBに変更です。この国境から北に55㎞ほどのところにあるアランヤプラテートのロンクルア国境を目指し、そこからカンボジアのポイペトへ渡り、そこから約60㎞をタクシーでサンパオルンまで戻るというプランです。アランの国境まで約1時間、国境の通過に約1時間、ポイペトからサンパオルンまで約1時間で、トータル3時間になります。9時半にここを出発しても12時半にはサンパオルンに戻ってこられます。お昼ご飯を食べる時間はないですが、午後1時からの授与式にはかろうじて間に合いそうです。

 ムさんの運転で一路ロンクルア国境を目指します。その間に、スマートフォンを使って、カンボジア側の協力者のアンさんに連絡を取り、今からポイペトを目指すことを伝えました。アンさんは、すでにカオディン国境(カンボジア側はプノムデイ国境)のカンボジア側で我々の到着を待っていてくれたのですが、とりあえず、教育委員会の事務所で待機していてくれるとの事でした。

 10時ちょうどにロンクルア国境に到着しました。約50㎞を30分で来たので、平均時速は100/hを越えています。ムさんは、僕たちを国境に降ろし、ここからは別行動になります。国境の手前にある5バーツの有料トイレを使って気を落ち着かせ、いざ出国審査場へ向かいます。ここからは1㎞ほどを徒歩で移動しなくてはなりませんが、もう何度も越えている国境なので特に問題はありません。タイの出国審査場では、27日入国で28日出国なので少し怪しまれましたが、何とかパスポートにスタンプがもらえました。そのまま、国境の小さな橋を徒歩で渡り、次はカンボジアへの入国審査です。入国には、入国ビザとワクチン接種証明書が必要です。日本で事前にオンラインでビザを取得していたので、それとワクチン接種証明書と入国カードとパスポートを審査官に渡しました。2020年にこの国境を越えた時、入国審査場は掘っ立て小屋のような小さな建物でしたが、ポイペトの国境も再開発されタイに負けないくらいの立派な建物になっていました。無事にカンボジアへ入国できたので、今度はサンパオルンへ行くタクシーを探します。貸切タクシーでも30ドルが相場の距離なので、「50ドルなら行くよ。」というタクシーの運転手に「30ドルでどうだ。」と言うと、「ガソリン代が上がっているから無理だ。」と言われました。タイもカンボジアも日本と同じくガソリンを輸入に頼っているので、すでに1リットル当たり200円以上の値段になっていて、日本よりも高いのです。「45ドルでどうだ。」という運転手と「40ドルなら。」という僕とで5ドルのせめぎ合いが続きましたが、こちらは1分でも無駄にしたくないので、45ドルで折れました。国境の通過で戸惑ったので11時を少し超えた頃でした。

 タクシーの後部座席には大きな荷物が載っていたので、どこかに届けるのかと思いましたが、運転手が電話で何やら誰かと連絡を取り、その荷物はどこかへ運ばれて行きました。その後、日本人二人を乗せたタクシーはサンパオルンへ向かいます。タイとの国境近くではタイの携帯電話の電波が拾えるのでネットにはつながりますが、内陸部に入るとそうはいきません。あいにくカンボジアのシムカードはもっていないので、しばらくアンさんには連絡が取れないことになります。そこで、運転手の電話を有効利用します。アンさんの電話番号を運転手に見せ、「ここに電話して。」と伝えます。しつこく鳴らせば知らない電話番号でもアンさんも気づいてくれるはずです。アンさんがすぐに電話に出ました。タクシー運転手は外国人を乗せて南に向かっていることをアンさんに伝え、アンさんは最終目的地を運転手に伝えてくれたはずです。これで何かあってもアンさんはこちらに連絡できます。これが海外での処世術です。

 タクシーは順調に59号線を走り、予定通り12時半にサンパオルンの街に入りました。ただ、奨学金用の米ドルの現金をまだ入手していないので、ACLEDA銀行へ寄ってくれるように運転手に伝えました。奨学金の総額2,400ドルを持ち歩くのはちょっと勇気がいるので、Western Unionという海外送金サービスを利用し、日本から自分あてに現金を送金しておきました。身分証明書と送金コードがあれば海外でも現金が引き出せるし、送金手数料も安いのでかなり便利なサービスです。しかし、この現金の引き出し手続きに思ったより時間がかかりそうだったので、外に待たせてあるタクシーとIさんを見に行くと、なんとアンさんも待っていてくれました。ここからはアンさんの車で授与式会場へ行けるので、タクシーはお役御免です。待たせた分を追加して運転手に50ドルを渡すと嬉しそうに受け取りました。

 もう10分ほど待って、ようやく現金にありつくことができました。一人80ドルの奨学金用の現金なので、100ドル札はいらないと伝えると、10ドル札がないから20ドル札でもいいかと言われました。その方が、数える手間が省けるので大歓迎です。20ドル札120枚を受け取り、そのままアンさんの車で奨学金授与式会場へ向かいます。時刻は午後15分です。

 5分後、授与式会場となるサンパオルン郡の庁舎の前を通り抜け、その奥にあるアンさんのオフィスの前で車を降りました。すぐに汗だくのTシャツの上に襟付きのシャツを着て、授与式の準備にかかります。封筒を買う時間がなかったので、アンさんに「白い紙を35枚ほどもらえるか。」と伝えると「封筒がいるのか。」との返事。仕事ができる人というのはこういう事なのです。1いうと10わかってくれるので、アンさんとはとても仕事がしやすいです。すぐに封筒に20ドル札を4枚ずつ入れ、30セットを準備しました。そして、それをもって会場に入り、指定された席に座りました。午後130

 まだ最近代わったばかりのサンパオルン郡の郡長も同席され、奨学金授与式がなんとなく始まりました。Iさんには事前にお願いしていたので、かなり流ちょうな英語でスピーチされました。練習の賜物だと思いました。それをアンさんがクメール語に訳していくのですが、わりとすんなり訳していくので、どうしてだろうと思っていたら、僕が銀行で待たされている間に二人で読み合わせをしていたようです。Iさんもこういうところは抜かりがありません。29名の子どもと1名の代理の学校の先生に奨学金を授与し、集合写真も撮って無事に式は終了しました。その時、一人の女の子が駆け寄ってきて英語で何やらIさんに話しかけてきました。小学生の英語なので拙くてよく理解できませんでしたが、今年から4年生になった事や過去に奨学金をもらっていた事など断片的に想像できました。後で、この子の写真を撮っておけばよかったと少し後悔しました。怒涛の5時間で、朝から何も食べてなくお腹がすごく空いていることにようやく気づきました。午後230

 アンさんにレストランへ連れて行ってもらうと、そこで激しいスコールが降ってきました。天井のトタンにたたきつける雨音で会話はほとんどできませんでしたが、久しぶりの再会を喜び合いました。食事後、とりあえずホテルまで送ってもらい、夕食の約束をしてからアンさんと別れました。チェックイン後は、死んだようにベッドに倒れこみました。

 午後6時、目が覚めたのでシャワーを浴びました。ホテルのWi-Fiに接続できたので、とりあえずムさんと連絡を取り、無事に授与式が終了したことを伝えました。ムさんは、昨夜のホテルを連泊にしていたので、一人で約80㎞の道のりを運転して戻ったそうです。

 午後7時、アンさん家族がホテルまで迎えに来ました。アンさんは奥さんと長男・次男・長女の5人家族で、長男はシェムリアップの大学で日本語の勉強をしているそうです。普通乗用車にアンさん家族4人と日本人2名の計6名が乗り込み、レストランへ向かいます。今夜は焼肉パーティーです。Iさんも2019年のカンボジア奨学金授与式に参加されているので、アンさん家族とは2回目の対面です。今回はアンさん家族に羊羹をお土産に持ってきてくれたので、レストランでそれを渡します。ただ、羊羹を見たことのない人にとっては、長くて黒い石鹸にしか見えないので、レストランの人に羊羹を切ってもらってその場で食べてみることにします。一口食べた長女の反応が微妙で、それ以上食べようとはしませんでした。お土産とはそういうものです。Iさんはビールがいける口なので、アンさんや奥さんと一緒に乾杯を繰り返していました。何度も乾杯するのがカンボジアスタイルです。

本当はもう23日ゆっくり奨学生や学校を訪問したいところですが、タイのチェンマイでの予定があるので、明日の昼前にタイへ戻ります。明朝6時に、シェムリアップへ行くというアンさんに甘えて、ポイペトの国境近くまで車で送ってもらうことにしました。夜9時、ホテルの前でアンさん家族に「おやすみ」を言いました。

つづく

7/13/2022

6月27日(月)後半 (その3)

  運転を交代してから、僕は、順調にプラーチンブリー県の359号線を東に向かいます。片側2車線でほぼ直線の道路は、日本の高速道路並みに飛ばすことができますが、たまにスピート違反取り締まりのカメラがあるという事を教えてくれる看板があるので、それには注意が必要です。ほどなくしてサッケーオ県に入り、しばらく東に走ってから317号線を南下します。カオチャカンという垂直に切り立った山を左手に見ながら、あと20㎞も走れば、今夜のホテルのあるワンナムエンの街に到着します。

 ホテルにチェックインする前に夕食をという事になり、ちょっとした道路沿いのレストランを探します。夜7時前なので、どこのレストランも混んでいますが、空いている店は美味しくないという事で、適度に混んでいるけど座れなくもない「焼肉と鍋の店」にしました。移動で疲れているので、もちろん鍋を選び、食事をしながらたっぷり1時間半も語り合いました。


同行者のIさんは、2007年のサッケーオ県でのワークキャンプに初めて参加され、その後も年に1度はタイを訪れ、2019年の「カンボジア奨学金授与式とタイ奨学金授与式を一度に回るツアー」の超タイトスケジュール&過酷旅にも参加されるほど、タイについては、ほぼスペシャリストです。そんなIさんが、途中で寄ったガソリンスタンドのトイレで「お金を払わないといけないと思ったけど、人もいないしお金を払う場所もよくわからなかったので、トイレの前にあった機械にコインを入れておいた。」と突然言いました。僕とムさんは、「ガソリンスタンドのトイレは無料だよ。」と首をかしげながら答えると、「ちゃんと音楽も流れたし。」というので、僕とムさんの頭の中には?が残っていましたが、その時はそのまま次の話題に移りました。

数日後、別のガソリンスタンドのトイレへ行ったとき、すべての謎が解けました。トイレの前に有料の体重計が置いてあったのです。試しにムさんが1バーツを投入すると、Iさんには聞き覚えのある音楽が流れだしました。僕は、「音楽が流れている間に用を済ませるんだよ。」とだけ言いました。


この写真はGoogleから引っ張ってきました。


この日は、ワンナムエンの郊外のホテルで宿泊です。


つづく

6月27日(月)前半 (その2)

 早朝、中部国際空港セントレア行きの特急列車(ミュースカイ)を利用します。特急料金が360円余分に必要ですが、移動時間を考えると費用対効果は抜群です。朝8時前には空港に到着しました。いつも通りFチェックインカウンターはオープン前なので誰も並んでいません。ですが、ラウンジで30分くらい時間をつぶしてからもう一度カウンターに戻るとすでに長蛇の列となっていました。前回の4月と比べると、人の数は雲泥の差です。中にはゴルフバッグを運んでいる人もいます。7月からは廃止されると予告されているタイランドパスの取得は、この時点ではまだ義務なので、あの面倒くささ乗り越えてでもタイに行きたいという人が相当数いるという事です。自分も含め…。

 出国審査を無事に通過した後、うろうろしていると、自動両替機に前で何やらアタフタしている二人組がいました。外国人だったので、そっと後ろに並んで順番を待っていると、どうやら現金の入れ方で迷っているようでした。多分5万円くらいを米ドルに両替しようとしていたのですが、その5万円の投入方法を間違えていたようで、5万円を束にしてそのまま投入口に差し込むと、一万円札5枚がすごい勢いで投入口から吐き出され、まるで紙吹雪のように宙に舞いました。僕は、名古屋の大須にある街中の自動両替機で同じことを10万円の束で体験していたので、特に驚きませんでした。なので「これは1枚ずつゆっくり入れていくんだよ。」と丁寧に教えてあげると、二人は、お互いの顔を見合わせながらケタケタと笑っていました。その後、少し日本語のできるという事で会話をしていると、二人とも福井で2年ほど働いていたカンボジア人で、一度、帰ってから、今度は8月にまた熊本に働きに来るとの事でした。20歳代の女性だったのでLINEを交換しておきました。

 途中、機内サービスの時間に乱気流帯に入り、シートベルトの装着サインが30分ほど点いたままだったので、その分機内食の時間が大幅に短くなり、慌ただしくてゆっくりコーヒーを飲んでいる暇もありませんでした。おまけに、TG645便は、追い風にのって予定到着時刻より1時間も早くタイのバンコク・スワンナプーム国際空港に着陸しました。飛行機を降り、タイランドパスを印刷したものを空港スタッフに見せるだけで、そのあとは通常と同じく入国審査場へ一直線に移動するだけで、ほぼコロナ禍前と変わらない移動距離と移動時間でした。入国審査でも特別に質問されることもなくすんなりとパスポートにスタンプをもらい、スーツケースをピックアップしたら、後は税関審査官の前をポーカーフェイスで通過するだけです。そして、大量の荷物のほとんどを車で来たバンコクの友人に預け(免税店での購入を頼まれた大量のじゃがポックルを含む)、ムさんといつもの場所で待ち合わせをします。

 ムさんは、日本語が堪能で通訳や翻訳の仕事をしながら、日本に住んでいた時はキャンヘルプタイランドのスタッフをし、タイに帰国後は自分で財団を起こし今もキャンヘルプの奨学金事業を毎年手伝ってくれています。かなりの実力者で、村上春樹や多和田葉子など日本人の僕でも理解の難しい本をタイ語に翻訳しています。今回は、そんなムさんとムさんの車で、数日間一緒にタイの東部サッケーオ県を周ります。ムさんと予定時間通りに合流し、車を一路東へ走らせます。スマホにナビをさせながら走るのですが、音声はもちろん日本語です。車内でも会話は日本語なので、いったいどこにいるのかわからなくなります。

 車は順調に走り続けバンコクの中心部から100㎞ほど東へ来たところで一本道になったので、運転を代わることにしました。タイのガソリンスタンドは、トイレとコンビニが併設されていて、日本でいうとちょっとした高速道路のサービスエリアの様になっています。まだ、給油には早いですが、トイレ休憩と運転手交代のためガソリンスタンドに寄ります。バスターミナルなどのトイレは25バーツが必要ですが、もちろんガソリンスタンドのトイレは無料となっていて、誰でも自由に使うことができます。20年前のガソリンスタンドのトイレは、汚くてとても使えたものではありませんでしたが、ここ5年くらいで大幅に改善され、安心して使えるようになってきました。こういうところに経済発展の影響が現れてくるのだと感じています。
 
つづく