6/15/2022

2022年度2回目の渡航の予告

 6月27日(月)から今年度2回目の渡航をすることになりました。

カンボジア奨学金授与式の開催です。

6月27日~7月10日の約2週間で、タイとカンボジアへ行きます。

期間中、毎日ブログを更新できればと思っていますので、

引き続き、キャンヘルプタイランドのブログをよろしくお願いいたします。

6/02/2022

本格始動

 2022年度に入り、ようやく世間も動きだす予感。

キャンヘルプタイランドもこの流れにのる為、一気に活動再開です。


4月中旬 海ツアー(終了)

6月下旬 カンボジア奨学金授与式

7月初旬 「カサロンの家」とZoom交流

8月中旬 大学生「カサロンの家」ボランティアツアー

9月下旬 奨学金資料翻訳会

今後もイベント目白押しなので、興味のある方は事務局までご連絡ください。

5/19/2022

海ツアー まとめ

今回の海ツアーにご支援いただいた会員の皆様及び名古屋千種ロータリークラブの皆さま、本当にありがとうございました。YCFの子ども達に代わってお礼申し上げます。

今回の海ツアーも大成功でした。そして、真っすぐに海を見つめる子ども達の顔を横から見られただけで、キャンヘルプタイランドの活動を続けてきて本当に良かったと思います。


この旅行で感じたことは、まさしくタイと日本との国民性の違いでした。コロナ禍となり、世界中の経済が落ち込み、人々の心も疲弊していく中、タイはいち早く“開国”という舵取りを政府が行い、一方日本政府は水際対策にかこつけて、実質“鎖国”の政策を実施しています。“国民=政府”なので、これは国民の意志と言うほかありません。やはりタイ人には“マイペンライ(問題ない)”精神が根付いているのです。どちらが正解という事はありませんが、結局、国民にとってどちらが暮らしやすいかという事ではないでしょうか。

以前から日本政府は、外国人労働者の受け入れについて、いろいろな方面からの圧力もあって就労ビザの発給にはとても慎重です。そこで優秀な官僚の知恵を絞って編み出されたのが、技能実習制度や留学生制度です。僕の住んでいる小牧市のコンビニなどは、ベトナム人留学生がアルバイトをしています。そして、近所の讃岐うどん店もまたベトナム人達が調理や接客を任されています。大規模な農業法人や中小の下請け工場などは外国人技能実習生の労働力に依存し、地方の私立大学などは留学生の受け入れをしないと存続も危ぶまれるほどに経営難に陥っています。そんな中、新型コロナ感染症がスタートした2020年度の早い段階から日本政府は外国人の受け入れを制限し、原則2年で帰らないといけない技能実習生の交代もできず、留学生の受け入れもストップしてしまいました。コロナで売り上げの減った企業は、まずは外国人の雇止めを開始します。給料がなくなり、家賃も払えず、帰りの飛行機も飛ばない多くのベトナム人は、行き場を失い、途方に暮れてしまったことでしょう。名古屋のあるお寺が、そんなベトナム人を受け入れ始めたのがニュースになったほどです。

今回のコロナ騒ぎで世の中が大きく変動したように見えます。ですが、これを教訓にして今後の人生を生きていける人は医療関係者などほんの一握りだと思います。9.113.11も当事者以外には、特に大きな影響はなかったのです。というか、記憶には刻まれているけれど、普段の生活でそれを思い出す場面があるかというと、きっかけがない限りほぼないでしょう。さすがに第2次世界大戦は日本国民のほとんどに影響がありました。ほぼすべての国民が当事者でした。ですが、戦後70年以上が過ぎてしまうと、ほぼその世代の人はいなくなり、また同じ事の繰り返しです。コロナ禍でこんなに大騒ぎしても、数年後には何もなかったかのように、今よりももう少しだけ生きづらい世の中を普通に暮らしているのだと思います。

 

今回の訪タイは約2年ぶりでしたが、僕にとって、このブランクはかなり大きなものでした。ですが、すぐに元に戻るという確信も得ることができました。YCFの子ども達に最初に会った時に感じた違和感は、言葉の問題というよりも感覚の問題でした。一度でも身につけた感覚は自転車に乗るときのバランス感覚の様に何年たっても忘れません。思い出すのに少し時間が必要なだけです。

コミュニケーションの感覚は鍛えれば鍛えるほど上手になるし、生きていくための力にもなります。ただ、どうやって鍛えるのかがわからないという事が課題です。参考文献を片っ端から読んで分かりません。デジタル社会になり、世の中がどんどん便利になっていくことで、人との関わりがますます希薄になっていきます(3回目)。そんな中でコミュニケーション能力を鍛えろと言われても、皆目見当もつきません。スマホもインターネットもなく言葉も全く通じない異国に一人ぼっちにされた時のことを想像してみてください。どうやって生きていきますか? 生きていけますか?

結局、最後のスワンナプーム空港で簡単な会話をかわしたバングラティシュから来た学生さんが無事に日本に入国できたかどうかは分からずじまいでした。しかし、彼らは異国の地でも必ずたくましく生きていくことでしょう。

おしまい

5/18/2022

2年ぶりのタイ その13 4月25日

  日本時間の朝7時半、定刻よりも30分早く飛行機は中部国際空港セントレアに着陸しました。ここからはスピードが勝負のカギです。もし、バングラディシュからの団体の後になった場合、かなりのタイムロスが予想されます。

 My SOSの緑の画面を準備し、ビジネスクラスの後に飛行機を降ります。現在10番手くらいでしょうか。ちょっと速足で歩いて3人を追い越し、ファストトラックのレーンへ移動した後、水戸黄門の印籠のごとく緑色のスマホの画面を提示します。そのまま次に進むように言われ、かなりの距離を歩かされました。セントレアの国際線を利用したことがある人ならわかると思いますが、22番のゲートから、一度、一つ上の出発階へ上り17番ゲート付近まで一気に歩きます。そこで待っていたのは、唾液によるPCR検査で、各ブースに分かれて唾液の採取を行うように指示されます。既定の量を採取できるまでかなりの時間がかかりました。なぜなら、速足で急ぎすぎたので口の中がカラカラになっていたためです。かなり頑張って絞り出したので唾液が泡状になってしまい、なかなか既定の量になりませんでした。かなりのタイムロスです。唾液の採取が終わり、指示された場所にプラスチックでできた試験管を提出するのですが、すでに7本が置かれていました。その後、出発階を15番ゲート付近までジグザグに進み、ようやくそこで検査結果を待つことになります。待つこと30分。検査番号が大型のモニターに映し出された場合は陰性なので、そのまま次のステップに進むことができるようです。ですが、このシステムの意味をちゃんと理解している人はあまりいないらく、僕の数字は6番目に表示されたのですが、先に進んだのは一番でした。ここで一気にトップに立つことができました。そのまま14番ゲートのスロープを下り、本来の到着階に戻り、Uターンをする形で入国審査場を目指します。動く歩道を使いながらどんどん加速していき、本来の検疫所にあるサーモセンサーで体温を測られても問題なく素通りし、次はパスポートチェックです。もちろん自動化ゲートを利用し秒単位で時間を稼ぎます。これも問題なく通過でき、あとは、スーツケースの回収と税関検査が残っているだけです。駐機からかなりの時間がたっているので、もうすでにスーツケースは停止したベルトコンベア上に並べて置いてありました。自分のを見つけ、それをもって税関審査へ向かいます。ここでも、デジタル(DX)が躍進しています。セントレアにも自動の税関ゲートが設置されているという情報を得ていたので、あらかじめ税関アプリに登録しておきました。パスポートとアプリ内のQRコードを機械に読み取らせ、顔を登録した後に自動ゲートへ向かえばすべて終了です。まだこのゲートを利用する人は珍しいらしく、税関の職員が一人横に付いて丁寧に説明してくれましたが、最後の最後に自動ゲートが開きませんでした。何度かトライしてみましたが、まったく反応しません。再起動するのに時間がかかりそうなので、隣のレーンへ移動すると何事もなかったかのように開きました。一緒についてきた職員に「いかがでしたか?」とアンケートをとるように言われているのが見え見えの質問をされたので、「便利だったという事にしておきましょうか。」と答えて、外に出ました。本当は「生身の税関職員より対応が素早く、すごく公平で、めちゃくちゃ便利でした。」と心の中では思っていたのですが、口にはしませんでした。世の中が便利になればなるほど人との関係性が希薄になっていくジレンマです(2回目)。

時計を見ると9:05でした。着陸からから1時間半という早さです。成田だと3時間はかかると聞いていたので、さすが国際線が2便しか飛んでいない地方都市空港だと実感しました

5/14/2022

2年ぶりのタイ その12 4月24日

 午前中は近くでのんびり過ごし、お昼ご飯は、コンドミニアムから車で20分くらの所にある有名なクイッティアオ(タイ風ラーメン)店へ連れて行ってもらいました。座席数が200以上ある規模の大きな店ですが、オープンスペースなのと、到着したのがお昼のピークを過ぎた頃だったので店内はかなり閑散としていました。名物の細麺を頼んだのですがスープが濃くて飲み水が大量に必要でした。その代わりサテー(カレー風味の豚串)はとてもおいしかったです。

 午後4時頃、帰国の準備をするためにコンドミニアムに戻りました。来るときはスーツケース一杯にお土産を詰め込んできたのに、帰りの荷物はほぼ着替えくらいしかありません。お土産などもほとんど買っていないです。今時、タイでしか買えないものは無いですし、円安の影響もあるので、正直言って海外で物を買うよりも、日本で買った方が品質も良いし割安です。それ以前に、この時期に海外旅行に出かけることを友人や近所の人たちに公言する事も憚れましたので、そもそも、お土産を買って帰る義理のある人もいません。

 午後6時半、空港行きエアポートリンクの始発駅のパヤタイまで送ってくれることになり、お言葉に甘えました。エアポートリンクも、もう何十回も利用しているので、まったく問題はありません。25年前のまだ国際空港がドンムアン空港一つだったころ、空港へ行くにはバスか列車かタクシーしかありませんでした。バスでも列車でもタクシーでも、必ず行先を相手(車掌さんや切符売りや運転手)に伝えなければならなかったのですが、今は券売機の画面をタッチしてお金を入れるだけで切符が買えます。“スワンナプーム”を正しく発音できなくてもなんの問題もないのです。

7時過ぎにスワンナプーム国際空港に到着したので、チェックインの時間まで空港内を少し散策することにしました。空港内はコロナ禍とは思えないほどにぎやかで、とても活気がり、タイ最大のハブ空港と名古屋のセントレアを比べるのは少し問題があるかもしれないですが、正直雲泥の差です。もちろん単純に旅客人数を比べても仕方ないですが、それよりも何か違うエネルギーのようなものが全く別物で、国を挙げて経済を回復に向かわせようとしているタイと、まだまだ時期尚早だと言っている日本との根本的な違いなのかもしれません。

 夜8時になり、もう一度出発ロビーの端のほうにあるBカウンターへ行くと、30分前には全く人がいなかったところに200人くらいの列ができていました。このカウンターは、ほとんどすべての日本行き(成田・関空・セントレア)の便のチェックインができるので、全員の行先が名古屋というわけではないでしょうが、このうちの何%かは名古屋へ行く人です。インターネットチェックインを事前に済ませありましたが、窓際の席を勧められたので、快く変更してもらいました。どうせ、機内は空いているのでどこに座っても同じです。

カウンターでチェックインしてから、出国審査終了までの時間を計ってみたところ、なんと15分で完了してしまいました。手荷物検査場も出国審査場もほとんど並ばずに通過でき、本当に拍子抜けです。こちらも最速記録を樹立してしまいました。少し免税店を見てから、22時半過ぎに名古屋行きの出発するF6ゲートまで行き、どのくらいの人が搭乗するのだろうかと周りを見渡すと、以外にもかなりの人が集まっていました。しかも、明らかに日本人ではなくインド系の顔の人ばかりです。キョロキョロしていると一人の若い男性が、「こんにちは。○○学校で日本語を勉強します。よろしくお願いします。」と覚えたての日本語で話しかけてきました。バングラディシュ人のようです。話を聞いてみると、これから日本に行って日本語の勉強をするとの事でした。どうやら、日本政府が留学生ビザの発給をスタートして、名古屋にある日本語学校が外国人の受入を開始したらしいです。水際対策などと言っていますが、水面下では、やることはやっているということでしょう。

学生の一人にビザを見せてもらうと2020年になっていたので2年もお預けを食らっていたことになります。そんな学生が男女合わせて100人近くいます。どうやらバングラディシュを出発し、スワンナプーム空港で乗り継いで名古屋へ向かうという事みたいです。みんなが無事に日本へ入国できることを願うばかりです。

つづく

5/12/2022

2年ぶりのタイ その11 4月23日

 日本の水際対策のせいで、帰国前72時間以内のPCR検査が必要です。ちゃんとしたドクターのサインのある陰性証明書がいるので、セルフチェックという分けにはいきません。病院またはクリニックでの検査にはお金もかかります。おまけに海外ですので日本語が通じるわけでもなく、もし、万が一日本語の通じる病院があったとしても、検査の費用は莫大なものになるに違いありません。

しかし、そういうPCR検査にあまりお金をかけたくないという旅行者のために、バンコクのあるクリニックでは1,500バーツでPCR検査をしてくれます。まずネットで受診を予約し、クリニックへ行って検査をした後、数時間後に結果をメールで送信してくれるというサービスです。この情報はYouTubeなどで拡散されているので、すぐにどこのクリニックかはわかると思いますが、クリニック自体はとても不便で分かりにくい場所にあるので、探すのが大変かもしれません。

クリニック到着後、すぐに予約確認のメールを見せ、料金をクレジットカードで払い、その直後に鼻に綿棒を突っ込まれていました。「結果はメールで。」とだけ言われすべて終了です。5分もかかっていません。たったの5分で1,500バーツです。1300バーツです。10時の予約で9:30にクリニックに到着しましたが、すぐに検査をしてもらえました。受診者が他に20名ほどいましたが、クリニックのスタッフは8名だけでした。日本でいうところの木下グループのPCR検査と同じで、どう考えても、短期的にがっぽり儲かるビジネスです。ただ、日本出国72時間前のPCR検査は、旅行先によって廃止されているところもあるので、日本国内のビジネスモデルは破綻しかけていますが、日本が水際対策を実施している限りは、タイでのビジネスは安泰でしょう。

午後4時前にクリニックから陰性という検査結果のメールが届きました。日本到着時に空港でファストトラックを利用するため、事前に自分のスマホにMy SOSというアプリをインストールしておきます。必要書類の写真をアップロードしていくと、アプリの画面が赤から黄色、緑色へ変化していき、自分の安全性が色で確認できるようになっています。とりあえずこれで飛行機には乗れるはずです。

夕方、ICON SIAMという比較的新しいデパートに連れて行ってもらいました。高島屋などが入っており、どちらかというと富裕層向けのデパートで、ハイブランドやポルシェなどの超高級車店なども入っています。タイの富裕層は、デパートで高級外車も買ってしまうのです。チャオプラヤ川沿いにあり、夜になると、店の前ではライトアップされた噴水が音楽と共にショーを行います。まるでラスベガスの様です。行ったことないけど。 また、超高級コンドミニアムが併設され、価格帯は数億円からですが、すでに完売しているようです。これが格差というものです。決して悪い意味ではありません。格差をよく悪い意味でとらえる方がいますが、あくまで多様性の一部です。決して差別的な意味ではありません。日本みたいにみんな平等というのもいいですが、他の国々は格差を容認しています。どちらが正解という事ではなく、多様性を認めていくという事が重要なのかもしれません。人それぞれ、幸せの感じ方は違うのです。

つづく

5/10/2022

2年ぶりのタイ その10 4月22日

  朝食の時、タッサニーさんはあまり眠れなかったと言っていました。なぜなら、一晩中子ども達がトイレへ起きる音がうるさかったからです。慣れない海鮮をたらふく食べたせいで、子ども達のお腹が悲鳴をあげたのでしょう。きっとこれもいい思い出です。

 今日、僕はバンコクへ戻ります。ゲン君が僕をホアヒンのバスターミナルまで送ってくれる予定になっているので、彼に時間を確認しようと探しましたがどこにも見当たりません。彼もまた腹痛に悩まされているのでしょうか。一応830出発でバス停まで送って欲しいとタッサニーさんに伝え、帰りの準備をするために自分のコテージへ戻りました。短パンからGパンに着替え、久しぶりにくつ下をはいて、サンダルをリュックにしまい、ベッドのシーツと枕カバーはきれいにたたんでベッドの上に置き、蚊帳も持ち上げておきました。「あっという間だったな。」と思いながら靴ひもを縛り、ゆっくり歩いて食堂へ戻ると子ども達が待っていてくれました。お別れの儀式のようなものが始まり、タッサニーさんが子ども達に向かって、「誰かメッセージはないの?」と言うと、数人の子が手を挙げて、一人ずつタイ語でメッセージをくれました。たった1週間で僕のタイ語力が回復するわけもなく、でも、耳ではなく心で聴こうと頑張りました。そして、最後に僕がひとこと言う番が回ってきました。ファーさんに手伝ってもらいながら覚えているタイ語や英語の単語を適当に並べ何とかスピーチをした最後に、チュー カン マイ クラップ(また会いましょう)とだけ伝えました。きっとまたすぐに会えると確信しているので…。

 最後に集合写真を撮り、ゲン君と他5名がバスターミナルまで僕を送るために同行してくれました。毎回の事なので慣れてはいるのですが、手を振りながら助手席のドアを閉めるときは、やっぱり感情が揺さぶられる気がします。車が走り出すと、何事もなかったかのように車内に冗談が飛び交います。ちょっと前なら一緒に冗談を言い合えたのに、今回ばかりは聞き役に回るしかできませんでした。タイ語で人を笑わせるようになるのにどれくらいかかるのでしょうか?

 午前9時にホアヒンバスターミナルに着くと、まずはチケット売り場でバスの空席を確認します。幸い9:30のバンコク行の席がすぐに取れました。263バーツで、約4時間の行程です。ワゴンなら2時間で160バーツです。早い・安い・危険の3拍子揃っているのがタイのワゴンの特徴です。僕はワゴンでもよかったのですが、タッサニーさんは僕をバスで帰らせるようにとゲン君たちに念を押しているみたいです。見送りに来てくれた人を30分も待たせるわけにはいけないので、「あとはひとりでできるから。」と、こちらがお見送りをしました。まあ、すぐに宿泊施設には戻らず途中で道草をして帰るのでしょう。

 今回利用したソンバットツアーのバスは、バンコクの公共バスターミナルのモーチットではなく、ソンバットツアー専用のターミナルへ行きます。ウィークエンドマーケットで有名なチャトチャック市場の北側にあるのですが、そこまで行ってしまうとその後が大変です。しかし、大型バスの場合は自由にどこでも好きなところで降りられるわけではありません。最悪、バスターミナルから最寄りの駅まで歩くことを覚悟しました。スマホのGPSで自分が現在どこにいるのかを知れるというのはとても画期的で、スマホのバッテリーが残っている限り迷子になる事はありません。GPSを頼りに最寄り駅に向かって歩けばいいだけの事です。

 ホアヒン出発から4時間半後、バスはバンコク市内に入り北上します。スマホの画面と外の景色を見比べていると、チャトチャック市場が左手に見えてきたので、「ここで降ろしてくれたらなぁ。」と思った瞬間、バスが停車しました。そして何人かの乗客が降りていくではないですか。僕もチャンスと思い慌ててバスを降りました。結局、人間は皆考える事が同じなのです。「こうだったらいいな。」とか「こんなのあるかな?」という事は大体、すでにそうなっていたり、あったりします。

 ここから友人のコンドミニアムまでは、2019年に開通したMRT(地下鉄)のブルーライン1本で行けるのです。これで慣れないタイ語を駆使して目的地にたどり着くという遊びができなくなりました。世の中が便利になればなるほど、人との関係性が希薄になっていくジレンマです。何のハプニングもなく、誰とも会話することなく、無事に友人のコンドミニアムに到着しました。

 夜、友人ら4人で晩御飯を食べに行くことになりました。おいしいイサーン料理レストランがあるとこのことで、車で向かうのですが1時間走ってもまだ車は停まる気配がありません。もうすぐ2時間になろうという頃にようやくレストランに到着しました。ちょっと晩御飯をという距離ではありません。ドンムアン空港を超えてさらに15km近くも北上した所にある台所(ครัวสะแตกแดกตับ)という名前のレストランで、すごく混んでいたので有名なのかもしれませんが、とにかく辛くて、さすが本場のイサーン料理という感じです。日本人の僕には…。

11時にコンドミニアムに戻りました。あと2泊して日本へ帰国です。

つづく

5/09/2022

2年ぶりのタイ その9 4月21日

  チェンマイから子ども達を運んできた417日から、一度も動いていない大型観光バスにようやく仕事が回ってきました。1週間の契約でチャーターバスをドライバー付きでもってきています。バスの料金は、16,000バーツだと聞きました。日本なら12時間で8万円からなので、格安と言えば格安なのですが、動かさないともっともったいないです。

 今日は観光の日です。午前中は、今いるところから50キロほど南にあるプラーンブリー国立公園へ行きます。マングローブを保護するための国立公園で、公園内に木でできた桟橋が張り巡らされ、周辺を散策できるようになっていて、大人にとってみればとても勉強になるところですが、子ども達にとっては特に面白い物や興味深い物は何もないところですごく時間を持て余すと思いますが、他に行くところもありません。実は僕も10年以上前に一度ここを訪れています。50人規模の団体がお金をかけずに楽しもうと思ったら、国立公園しか選択肢はないのです。

 今回、日本で僕がお手伝いをしている幼稚園から、中古の帽子や通園バッグなどの寄付を預かってきたので、16日の到着初日にタッサニーさんに渡していたのですが、中を確認している暇がなかったようで、朝のうちに中身の確認をお願いしたら、遠足出発前に小さい子たちに帽子を配ってくれました。一緒にセントレアで買ったお菓子も入っていたので、タッサニーさんが、それをバスの中で食べるようにと机の上に並べてくれ、子ども達はそれを一つずつ手に取っていきました。お菓子をもらったら子から一人ずつ僕にお礼を言って前を通り過ぎていくので、少し照れました。

 国立公園の散策は、予想通りでした。早めに散策を終えた子たちは、売店で思い思いの飲み物を買ってベンチで暇を持て余していました。ただ唯一、景色のいい高い櫓の上では若い女の子たちが一人ずつSNS映えする写真撮影に余念がありませでした。

 次に立ち寄ったのが、ラジャハーク公園です。こちらも、タイの英雄の大きな像が7つ並んでいて大人には大変興味深い公園ですが・・・。もちろん僕は来たことがあります。

 お昼は、チャアムビーチで食べることになっているようです。ですが、ラジャハーク公園を出発したのが12時くらいだったので、チャアムビーチに到着したのが、1245分くらいでした。子ども達はとてもお腹が空いている事と思います。ここでもまた、タイあるあるですが、観光バス組とピックアップトラック組との連携がうまくいかず、ビーチでタッサニーさんたちと離れ離れになってしまいました。辛抱強いタイ人はお互いに別々の場所で相手を待ち続け、気が付いたら小一時間という事が良くあります。携帯電話があるのにです。子ども達はビーチの木陰でタッサニーさんを待ち続け、ようやく現れたころにはもう午後2時でした。聞いてみると、特に食堂を予約しているわけではなく、子ども達に100バーツずつお小遣いを渡してあるので、そのお金でグループごとに自由に食事をするとの事でした。早く言ってよ。

 僕は、ここからタッサニーさんたちとピックアップトラックで行動です。お昼ご飯をまだ食べていないので少しお腹がすいたと伝えようと思ったら、カオニャオマムアンを僕用に買っておいてくれたらしく、移動中に食べろとの事でした。今、タイでは、このマンゴーともち米にココナッツソースをかけた食事ともデザートとも形容しがたい、日本でいう“おはぎ”のようなポジションのものが大人気らしく、どこへ行っても売っています。確かに今年のマンゴーは当たり年の様で、めちゃくちゃおいしいのは確か
です。

どうして僕も子ども達と別行動になったかと言うと、今夜の海鮮パーティーの買い出しがあるからで、ビーチから車で10分くらいの所にある大型市場へ向かい、そこで、エビ・貝・イカ・魚・豚肉(甲殻類アレルギー対策)などを計30㎏ほど買いました。スタッフを含めると約60人分です。子ども達がどのくらい食べるのか想像できないため、ちょっと多めに買ったつもりですが、とんだ計算違いだったことに後で気付きました。



子ども達より先に宿泊施設へ戻り、パーティーの準備に取り掛かりました。今回は、バーベキューをしようと思うと、七輪が大量にいるので、すべての海鮮を蒸すことになっています。エビ・貝・イカ・魚などの下準備をして、どんどん蒸していきます。エビや貝などはさっと洗って蒸し器に入れればいいのですが、イカは下ごしらえが結構大変で、透明な骨を取り出すのが一苦労でした。そして、蒸し上がり後もイカ1杯の大きさがまちまちなので、一口大にカットしないと取り合いになります。豚肉は塩を揉みこんでフライパンで焼きます。焼き上がり後にこれも1口大に切りそろえます。ごはんも大型の炊飯器3台がフル稼働で、110㎏の米を消費するとの事です。食べ盛りの子どもを40人も養おうと思ったら、どれだけ大変か皆さんには想像できますでしょうか?



午後5時前、子ども達の乗った観光バスが戻ってきました。降りてきた子ども達は、疲れも見せず、すぐに海の方へ走っていきました。ちゃんとお昼ごはんを食べたかどうか怪しいですが、一つ言えることは、確実に夕ご飯もたくさん食べるという事です。

海で遊んだ後、シャワーをした子ども達が続々と食堂へ集まってきました。各テーブルにはすでに山盛りの海鮮が置いてあります。各自がお皿をもってご飯の列に並び、食べられる分のご飯をもって自分の席に着きます。というより、「とりあえずお皿に載りきる分のご飯を持って席に着く。」の方が正しいでしょう。食事前のお祈りをして、戦闘開始です。各テーブルには、あっという間にエビの殻と貝殻の山が築かれ、イカの入ったお皿はすぐに空っぽになります。すべての料理は余分に作ってあるので、テーブルの代表者がお代わりを取りに来ます。スタッフなど大人たちのテーブルにも、同じ料理が並んでいるのですが、エビ2匹と貝45個を食べればお腹いっぱいになりました。必然的に大人のテーブルの料理が余るので、すぐに子ども達のテーブルへと移動していきます。食べ終わると各自が食器を片付けるので、一人当たりどのくらいの量をたいらげたのかよくわかりませんが、30㎏の海鮮があっという間にすべてなくなりました。少し量の計算間違いをしましたが、これで僕の今回の最大のミッションはクリアできました。



つづく

5/06/2022

2年ぶりのタイ その8 4月20日

 朝の挨拶は。みんな「嵐すごかったね。」でした。

今日のスケジュールは、午前中、子ども達は勉強、午後はほぼフリータイムという事で、日本から来た僕は、丸1日自由時間となります。午前中に洗濯を済ませ、海風の吹く木陰のベンチでYouTubeのお気に入りをイヤホンで聞きながらのんびりと過ごしました。おすすめは、「ゆるコンピューター科学ラジオ」というポッドキャストの番組で、画面の変化は特にないので、音声だけで十分に楽しめます。親番組に「ゆる言語学ラジオ」というのもあり、どちらも最高の暇つぶしコンテンツです。

昼食後、子ども達はビーチに繰り出し、思い思いに楽しんでいます。小さい子は大きいことバディを組んで、危険がないように配慮されているので、この時はタッサニーさんにもゆっくりすることができ、もちろん木陰にゴザを敷いて、お昼寝を決め込んでいます。

午後3時頃、チェンマイから子ども達と一緒に来たブラジル人のエティカが、どこからか水上バイクとバナナボートを手配してきました。彼は、もう10年以上チェンマイで暮らしていて、事あるごとにYCFを手伝っています。写真が上手く、インスタグラムなどでは子ども達の様子を発信し続けています。

バナナボートを見て、もう子ども達は大はしゃぎです。6人ずつ乗り込んで、海面をすごいスピードで走り抜け、最後は急なターンでひっくり返る、の繰り返しで、ひっくり返ったタイミングで交代し、一件秩序が保たれているように見えましたが、乗り込むのはどう見ても小学校高学年以上の子どもや学生ばかりで、おとなしい目の低学年の女の子などは、うらやましそうに見ているだけでした。乗ってみたいのだけど、ひっくり返る事への恐怖心もあるようで、なかなか、周りの雰囲気にのれない様です。おまけに、大きな学生たちは、自分のバディの事などすっかり忘れ、自分が楽しむのに精いっぱいです。こういう場合、自分がスポンサーなら水上バイクのドライバーと直接交渉して、小さい子ども達を乗せてゆっくり走ってもらうように要請できるのですが、今回は誰がスポンサーなのか見当もつきません。仮にエティカがスポンサーだったとしても、それだけの内容を英語又はポルトガル語で伝えることは到底無理です。エティカは10年以上タイに住んでいますが、タイ語は片言です。もちろん、今の僕にタイ語で伝えることもまずできません。エティカの通訳としていつも一緒に行動しているトトというタイ人がいます。今回、彼も一緒に来ているので、トトにタイ語でニュアンスが伝わればエティカないし水上バイクドライバーに伝えてくれるに違いないと思い、頭の中でタイ語を組み立て始めました。小さい子、乗ってない、早い、危ない、ゆっくり、できる? デックレック ヤン マイ ナンorキー バナナボート レオ マーク アンタラーイ チャーチャー ダイ マイ 脳内に格納されているタイ語を何とか引っ張り出し、最低限これだけあれば伝わるはずと思い、トトに話しかけました。もちろん身振り手振りも加えて。それを聞いたトトはドライバーと交渉した後、「次はゆっくり走るから、小さい子でも大丈夫だよ。」と子ども達に伝えました。まず最初に動いたのは、こちらもまた子ども達と一緒にチェンマイからバスでやって来たイギリス人の初老の女性で、すぐにライフジャケットを着てバナナボートによじ登りました。それを見た小さな子ども達は、少し安心した様子で、大きめのライフジャケットを着始めました。さすがに一度ですべての小さな子ども達が乗れるわけではないので、次の回になる子もいましたが、ちゃんと5人の列になって座って待っていました。大きな子ども達は自分の順番が抜かされたことに少し不満そうでしたが、彼らはもう何回も乗っているので仕方ありません。このバナナボートの料金は、1時間3,000バーツだと後で聞きました。もうあと一日バナナボートを呼んだ日がありましたが、合計5時間は遊んだと思います。エティカの仕事がちょっと気になりました。

夕方、Morchanaのアプリに突然通知が届きました。「あなたはタイ入国後5日が過ぎているので、次のリンクからATKの結果を送りなさい。」みたいなメッセージにくっついているリンクをクリックすると突然入力フォームの画面に切り替わりました。名前・パスポート番号・検査結果などの入力をして、写真の添付の欄があったので昨日撮影したATKの写真を添付し、送信のボタンを押すと、何事もなかったかの様にもとのホーム画面に代わりました。入国5日目のカウントの仕方が違ったのか?恐るべしMorchana

つづく

5/04/2022

2年ぶりのタイ その7 4月19日

  朝から全く落ち着きませんでした。タイ入国5日目なのに簡易抗原検査(ATK)の結果報告の方法の情報が何一つなく、近くにいるどのタイ人に聞いても誰も知らないというばかりです。スマホにインストールしてあるMorchanaのアプリを見せても「へー、そんなのあるんだ。」というワンパターンの反応でした。そりゃそのはずです。入国5日目のATKなんて、タイ在住のタイ人にはまったく関係のないことなのです。でも、まじめな日本人はきっちりとルールを守りたいというのが信条です。とりあえず検査をして写真に残しておくことにしました。自分でやってもいいのですが、誰か抗原検査を経験したことがある人はいないかと探したら、ほぼ全員がアリでした。なぜかというと、ほとんどすべての子ども達が、新型コロナに感染していたからで、3月の後半から4月の前半にかけて、希望の家とカサロンの家でパンデミックが起こり、全員を村から離れたカサロンの家に隔離し、なんとか全員が陰性になるまでの1週間を乗り切っていました。咳や熱が出た子もいれば、無症状の子もいましたが、ほぼ全員が抗原検査で陽性となっていました。つまり、スタッフ達は、計40回以上の簡易抗原検査を実施していることになります。それも綿棒を鼻に突っ込む側として、つまり検査する側としてです。まさにプロフェッショナル。これなら安心して任せられるでしょう。

 スタッフにATKを渡すと、説明書きも見ないで手早く準備を完了し、綿棒の先をこちらに向けられました。心の準備もできないうちに鼻の穴に綿棒を突っ込まれ、右で5秒、左で5秒の計10秒も鼻の穴をグリグリとされ、その綿棒を素早く試薬の入った筒に入れ、少しかき混ぜてから、今度は試薬を検査プレートの丸い穴へ数滴たらしました。数分後、見事にプレートのCの位置に赤いラインが残り、陰性という結果がでました。白紙の紙に検査日と名前を書き、検査結果のプレートとパスポートを並べて、すべて写真に撮っておきました。ここまで5分間以内の出来事。やっぱりプロでした。

 日本時間の午後6時半、タイ時間午後4時半に、僕は、日本とのZoom会議の予定が入っていました。通信環境が未知数だったので、参加できるかどうか微妙でしたが、どうせやるならビーチの見える場所でと思い、準備に取り掛かりました。PCを立ち上げ、スマートフォンのテザリングでネット回線に接続を試みます。この日のために高速通信で15GBまで使用可能な回線を契約しておいたので、YouTubeなどの動画は余裕で鑑賞でき、多分Zoomでも問題ないと思われます。

 名古屋市が主催のボラマッチというイベントの運営協働会議に名古屋NGOセンターの理事として参加するので、あまりふざけたことはできません。今年度初めての会議なので、込み入った話し合いになりそうなら参加はあきらめるところでしたが、多分1回目は自己紹介で終るだろと思い、タイのビーチから参加を試みることにしました。開始5分前になったので、会議室に入室し、挨拶をすると、「今どこですか?」という質問が飛んできました。表情には出しませんでしたが内心ニヤリとしてしまいました。「タイです。」これでほぼすべての参加者に僕の存在を認識してもらえたと思います。インパクトが絶大だし、「この時期にタイのビーチで何やってんだ。」って感じだし。

 夜、車で10分ほどの所にあるマーケットへ行くというので着いていきました。まあ、よくあるナイトマーケットで目新しい物は特に何もなかったのですが、何も買わないのも少し寂しいので、バナナスムージーを買ってみました。なつかしくてあまいタイの味。

 夜中に突然の嵐。嵐と言ってもジャニーズの5人組ではなく、台風の方です。窓を全開にして蚊帳だけで寝ていましたが、強い風が吹き込み大粒の雨も降ってきたので慌てて窓を閉めました。遠くの方で車のクラクションが鳴り響いたり、ガタガタと雨戸も激しく揺れたりして、一晩中強風はやまなかったのですが、朝になると少し穏やかになっていました。

つづく

5/03/2022

2年ぶりのタイ その6 4月18日

  早朝6時、「朝マズメ」という言葉があるように、日の出の時間帯が良く釣れるのです。ちょっとだけと思い餌を探しに食堂へ行くと、プラセンさんが釣りの準備をしていました。釣り人は皆考える事が同じです。そのまま、朝8時まで粘りました。僕の釣果はキスみたいな魚1匹でした。

昨夜、ゲン君が「朝8時にマーケットに行くから、一緒に来るか?」と言われたので「もちろん行くよ。」と返事をしたのですが、8時に予定の場所に行くと車はもうありませんでした。マイペンライ

子ども達は、午前中に勉強をします。学年ごとに各コテージなどに分かれ、それぞれ先生がついて、授業形式で学習しますが、ある所からは歌が聞こえてきたりして、少しのんびりムードです。

希望の家やカサロンの家の子ども達は、大勢の取り巻きの大人たちに支えられ、ごく普通の家庭の子どもよりも手厚い環境で暮らしていると思います。そのおかげで、成績優秀者も多く、数年前には国から表彰されるくらいの学生もいました。特に英語学習に関しては、英語で話す大人たちと一緒に生活することによって、その重要性や必要性を十分に吸収して育っているのです。日本の子ども達の様に、小学校から英語学習を始めても、その必要性を理解しないまま勉強し続け、結局最後はテストで優秀な点数を採れるだけでほとんど使い物にならない、というのとはわけが違います。うらやましい限りです。

 お昼過ぎにもう一人ホアヒン空港へやってくるゲストがいるので、お迎えに付き合うことにしました。ファーさんという40代の男性で、チェンライのメーファールアン大学で法律を教えている教授です。彼は英語も堪能でコロナ前は中国の北京へも留学していましたが、休暇でタイに戻っている最中にコロナ禍となり、北京へ戻ることができなくなってしまいました。オンラインで授業に参加したりしていたようですが、ちゃんと留学を終了できたのかは結局分かりませんでした。コロナ禍でオンラインが一気に加速したのは世界共通だという事が良く分かります。タッサニーさんの娘のトゥンちゃんは台湾、ファーさんは北京と、今、タイの知識層は中国に向かおうとしています。

ファーさんを迎えに行ったついでに、マクロという大型スーパーで買い出しをしました。チキンと衣用の粉を大量に買っていたので、どうやら夕食はフライドチキンのようです。スーパーの敷地内にダンキンドーナツがあり、6個買うと6個無料という魅力的なサービスをやっていたので、ざっと計算すると1,000バーツちょっとで、72個くらいはいけるはずです。財布の中身を確認し、Goサイン。6個入りが12箱ですので、みんなでひたすら箱にドーナツを並べます。全部で1,080バーツになりました。よく考えると130バーツのところ、2個で30バーツ、という事は115バーツです。1個が約60円となります。落ち着いて考えるとそんなに安くないのかも。

夕食のフライドチキンの後にデザートのドーナツが子ども達に配られました。揚げ物オンパレードの夜となりました。

5/01/2022

2年ぶりのタイ その5 4月17日

 日本時間の午前6時、何となくトイレに起きて、なんとなく外に出てみると、チェンマイからのバスが到着していました。ユースチャリティーファンデーション(YCF)の子ども達カサロンの家と希望の家)とスタッフの総勢50名が、昨日の夕方にチェンマイを出発し、約1000kmを13時間バスに揺られる長旅を終えたところでした。子ども達が食堂に集まってタッサニーさんの話を聞いているところをちょっとだけ覗いてみようと、寝ぼけ眼で離れてみていたら、突然タッサニーさんに名前を呼ばれ、僕も挨拶する羽目になってしまいました。その後、子ども達は自分の荷物をもって大きい子に案内されながら各自のコテージへ分散していきました。さすがに外はまだ暗いので、海の様子は分かりません。ただ波の音が近くに聞こえるだけです。

 タイ時間の朝6時、外が白み始めたので覗いてみると、もうとっくに子ども達は海辺に座っていました。多分興奮して眠れなかったのではないでしょうか。チェンマイの山奥から一晩移動して海まで来て、初めて観るこの景色を子ども達がどう感じているのか、心の中を覗いてみたいものですが、それを聞けるだけのタイ語力もないし、話しかけるのも気が引けるほど子ども達の目は真っすぐに海を観ていました。暗い海に時折月明りで白く光る波と波の音の世界から、徐々に明るくなり海面の無限の広がりを感じられるようになった頃、目の前に真っ赤な光が浮かび上がる光景。僕が初めて海を観た時のことをもう思い出せませんが、すでに幾度となく見ている僕でも心揺さぶられずにはいられないのに、初めて見る子ども達にとってはどのくらいの影響力があるのだろうと思ってしまいます。まさしくこれが旅行の本質で、何をしたかとか何を見たかではなく、どれくらい心が揺さぶられたかだと思います。日本の修学旅行の定番と言えば京都・奈良・東京などでしょうが、行先はあまり関係ないと思います。その場所に行って、その一瞬にしか体験できないことを、大人の情報力と財力で子ども達に体験させてあげるというのが修学旅行のあるべき姿ではないでしょうか。娘の中3の修学旅行は、千葉にあるのに東京なんちゃらとかいう場所です。行くこと自体は否定しませんが、12日で63,000円の費用がかかります。金額に見合ったとまでは言いませんが、この子ども達の様に、話しかけるのもはばかれるほどに心揺さぶられる体験をしてほしい物です。僕の今回のこの旅行も、海の日の出を観るためではなく、海の日の出を観る子ども達を見るためにわざわざタイに来たといっても過言ではありません。もちろん、ちゃんと心も揺さぶられましたが。

 数人の子どもが朝食当番で抜けた後、朝のミーティングが始まり、タッサニーさんから海での注意事項が子ども達に伝達されました。特に注意しないといけないのは、あまり深いところへ行かない事とクラゲで、クラゲの存在を知らない子が多いので興味本位で触ってしまうらしいです。まあ、あんなゼリー状の丸いものがプカプカ浮いていて、ましてやそれが生物だと知ったら、僕でも絶対に触ってしまいます。毒のあることを知らなかったら。

 炊事当番は大きい学生がグループで担当することになっていて、ちゃんとローテーションも決まっていた。そして、メニューまで厳密に計画されていて、総勢60人分の買い出しの事を考えると、そんなことは当たり前かもしれないなと感じました。

今回、タイに来る前に各方面に支援のお願いをさせて頂いただき、そして、多くの方々から総額10万円のご支援が集まりました。それをタッサニーさんに渡すとき、「せっかく海に来たのだから新鮮な海鮮料理を子ども達にお腹いっぱい食べさせてあげて下さい。」とお願いしました。それにより、僕がバンコクへ戻る22日の1日前の21日の夕食時に海鮮パーティーをすることになりました。そして、22日は観光の日だったが、それも急遽21日に変更され、なんか気を使わせてごめんなさい。

夕食は、タッサニーさんの家族とレストランへ出かけた。トゥンちゃんが明日チェンライへ戻るので、その前にゆっくり一緒に夕食をという事みたいだった。車で20分ほどの所にある地元のレストランだが、さすがに休日の夜なので駐車スペースがないほど混んでいて、200席以上ある広い店内も満席の様子でした。定番のタイ料理店で肉も海鮮もなんでもありですが、注文はトゥンちゃんにすべてお任せしました。そして、とにかくタイ語のインプットに専念しました。とにかく今、タイ語に関しては「ならうよりなれろ」です。

 夜は、プラセンさんとソムサックと僕の3人で釣りをしました。市場で買った小エビを餌にして、砂浜で遠投すると、すぐに竿に手ごたえがあり、ゆっくり巻き上げると15cm20cmくらいのキスに似た魚が沢山釣れます。タイ時間の夜9時ですが、日本では11時なのでさすがに眠くなり、コテージへ戻り寝てしまいました。その後、ソムサックが大物を釣り上げたそうです。

つづく

4/30/2022

2年ぶりのタイ その4 4月16日

 4月16日(土)

 朝、ホアヒン行きのバスに乗るためにバスターミナルへ行く予定でした。が、タイ在住のキャンヘルプタイランドの西川会長が15日の深夜に日本から帰国し、朝ホテルでの1泊隔離が終了するので一緒にお昼ご飯を食べようという事になりました。11時に会長の宿泊している超高級ホテルのロビーで待ち合わせをし、すぐ近くの高級ホテルへ移動し、1階のレストランで有名なカオマンガイを食べることに。もちろん共通の友人のおごりなので、遠慮なくいただきます。しばらくすると、一人の初老のタイ人男性が現れました。友人が彼に声をかけてくれていたようです。彼は、昔TVドラマの俳優をしていて、今はその仲間たちと一緒にタイとミャンマーの国境付近の学校で支援活動をしているとの事です。ちょっとした有名人らしく、周りのテーブルからの目線が気になって仕方ありません。日本の芸能界に当てはめたら大体の事が皆さんにも伝わると思うのですが、まったく想像がつきません。まあ、バンコクではよくあることです。

 昼食後、会長を自宅の高級コンドミニアムまで送り届けてから、バスターミナルへ向かいました。午後2時過ぎにサイターイという南方面行のバスターミナルに到着し、ホアヒン行きのワゴンに乗りこみました。料金は160バーツです。バスだと34時間程かかるのですが、ワゴンだと2時間ほどで現地へ到着するようです。早くて安くて危険というのがワゴンの特徴の様です。水を買いトイレを済ませ7人ほどの先客のいるワゴンへ乗り込みました。ワゴンの中は3密どころの騒ぎではありません。コロナ患者がいないことを祈るばかりです。不安材料はもう一つあります。このワゴンがホアヒンのどこに到着するのかわからないのです。以前にも同じ海ツアーに参加したことがあるので、正確な宿泊場所は分かっているのですが、「バスターミナルに着いたら迎えに行くから連絡して。」というタッサニーさんにあまり迷惑をかけたくないと思い、できるだけ近くでワゴンを降りられたらなあと考えます。スマホのGPSで現在地を確認しながら、あと10キロほどの距離まで近づいてきたとき、一人の乗客が運転手に声をかけました。その後、ワゴンは左に寄って停まり、その乗客は降りてしまいました。「どうせ好きな場所で降りられるに違いない」という思惑が確信に変わりました。あとは自分の降りたい場所をどうやって運転手に伝えるかだけです。次々に他の乗客たちは思い思いの場所で降りていきます。幸いにも運転席のすぐ後ろの席が空いたので、そこへ移動し行き先を覗き込むように見ている様子を運転手に見せました。そうすれば、運転手は「この外国人はもうすぐ降りたいんだな。」と気付くはずです。この作戦は大成功で、心なしかワゴンのスピードもダウンしたように感じます。目的のコンビニが近づいてきました。指をさして「ストップ。」と言うと、ワゴンは見事にコンビニの前で停まりました。 コミュニケーション93%は言語以外という「メラビアンの法則」

 ここから、宿泊場所までは約700メートルなので、迎えを頼まなくても自分で歩いて行ける距離です。午後5時前の夕方でも気温は30℃以上あり、リュックを背負い両手にお土産を持って歩くにはちょっと年をとりすぎていますが、バイクタクシーもいませんのでひたすら歩くしかありません。あと100メートルというところでようやく1台のバイクが通りかかり、「どこへ行く?」「乗っていくか?」と声をかけてくれましたが、「もうすぐそこだから。」と断りました。こんな人の優しさは今のバンコクでは感じられない時代になってしまいました。そういえば25年前のバンコクでこんなエピソードがありました。とあるバス停でバスを待っていましたがそのバスがなかなか来ません。そんなとき中年の女性グループが話しかけてきて「どこから来たの?」「何しに来たの?」など、いろいろ聞かれました。ほんの数分の会話でしたが、女性グループはお迎えに来たワゴンに乗りこんでいきました。そうしたら最後にワゴンに乗りこもうとしていた女性が、「どこへ行くの?」と聞いてきたので、「フォアランポーン(バンコク中央駅)」と言うと、「じゃあ、一緒に乗ってきな。」というニュアンスの言葉を発しました。人の優しさを実感したちょっとした場面でした。

 今回宿泊したのはホアヒンの少し北のチャアムという場所にあるクリスチャンミッションコテージという施設です。キリスト教系の研修宿泊施設ですが、コテージが6棟と調理場付の大食堂もあり、何より海岸まで0分つまり目の前が砂浜という立地の良さが一番のウリです。ここへ来るのは3度目ですが、毎回少しずつ改善されて、どんどん快適になっていきます。今回一番驚いたのは、トイレがほとんど洋式になっていたことでした。

 5分ほど歩き入口のゲートをくぐり、海まで真っすぐ続く道を進むと、遠くから僕を呼ぶ声がしました。タッサニーさんの娘さんのトゥンちゃんでした。彼女は、大学を卒業後、チェンライのメーファールアン大学で教員となり、その後、台湾へ留学をしている途中でコロナ禍となってしまい帰国もままならない状態でしたが、昨年にようやくタイへ戻ることができたそうで、会うのは5年ぶりくらいでしょうか。その横でタッサニーさんも驚いた表情でいたので、片言のタイ語で挨拶をしました。カサロンの家や希望の家の子ども達はどうやら明日の早朝にこちらに到着するようで、今はまだ、第1陣としてタッサニー夫妻と運転手のゲン君とソムサック君、数人の学生が準備にために事前に来ているとの事でした。トゥンちゃんは、別行動で、チェンライから飛行機でバンコクスワンナプーム空港に移動し、そこでレンタカーでここまで来ているそうです。

2年のブランクは僕の独学のタイ語にはとても厳しく、こちらが伝えたいことも相手の言いたいこともほとんどわからない状態になっていました。単語を忘れてしまったというよりも、脳のどこにしまったのかわからなくなったというのが正しいかもしれません。ゆっくり考えながら話すとか相手にゆっくり話してもらうとかすれば多少は理解できるのですが、ネイティブのスピードにはついていけなくなっています。また1からやり直しですが、徐々に慣れていくしかないようです。

日本から持ってきたお土産を渡してから、これから1週間生活するコテージへ荷物を運びこみました。ベッドメイクや蚊帳の設置は、どうせ慣れない日本人がやっても結局直されて2度手間になるので学生達にお願いしました。まだ外は明るいので、少しだけ景色を楽しむために海岸に降りてみました。きれいな砂浜の広がった遠浅の素晴らしいビーチです。これならきっとキスが釣れるだろうと感じました。ビーチからタッサニーさんたちのコテージへ戻ると、なんと、そこではタッサニーさんの旦那さんのプラセンさんが釣り道具のメンテナンスをしているではないですか。軽く挨拶をして、すぐに自分の釣り道具をとりにコテージへ戻りました。プラセンさんは釣りが趣味なので、今回も必ず釣り道具を持ってきているに違いないと思い、僕もリュックに忍ばせていました。すぐにプラセンさんのいるコテージにとんぼ返りをすると、自分の道具を自慢げに見せました。プラセンさんがニヤリとしたのが分かったので、僕もニヤリとしました。言葉は不要です。これで100%の意思疎通が完了です。

そういえば、夕食にエビを食べた学生の一人が、タッサニーさんに「首がかゆい。」と言ってきました。間違いなく甲殻類アレルギーです。すぐに病院へ行き薬をもらってきて大事には至りませんでしたが、彼女は、この先一生エビを見るたびに今回の海ツアーの事を思い出すのでしょう。

つづく