4/28/2022

2年ぶりのタイ その2 4月14日(木)出発

 414日(木)1100中部国際空港セントレア発のタイ国際航空645便

 朝の中部国際空港は、閑散としていました。国内線の利用者数は回復傾向にあるようですが、国際線の運航はタイ行とフィリピン行の2便だけです。そして、それぞれに搭乗人数制限がかけられているでしょうから、仕方のないことですが、寂しい限りというか本当に残念でなりません。

8時にタイ航空のチェックインカウンターが開きましたが、100人も並んでおらず、そのうちの半分近くはバンコクスワンナプーム国際空港で乗り継ぎ他の国へ行ってしまうでしょうから、実質タイへ純粋に観光目的で出かけるのはほんの数人で、本当の物好きという事になります。

いつもなら行列のできる手荷物検査と出国審査もスムーズに通り抜け、最初に目にしたのが、免税店が開いているという衝撃的な光景でした。国際線2便だけのために、ましてや搭乗客も少ない中でも、免税店を開けるという根性に感服しました。こうなると売り上げに貢献しないわけにはいけません。さすがにハイブランドの免税店に用事はありませんでしたが、化粧品コーナーやお菓子コーナーなども開いており、タイの子ども達の顔を思い浮かべながら、「白い恋人」や「じゃがポックル」のひと箱の入数を子ども達の人数で割ったり、友人のためにタイ入国時のタバコや酒の免税範囲を確認したりしながら、客の数より店員の数の方が多いという耐え難い状況を何とか耐え抜きました。そして、搭乗が完了し定刻通りボーイング737は動き出しました。

出発後すぐに機内食のサービスが始まりました。チキンかフィッシュを選択できましたが、魚の嫌いな僕はもちろんチキン1択です。チキンとマッシュポテトのクリーム煮込みとでもいうのでしょうか。2年ぶりの機内食なのでおいしく感じましたが、サーブするのはタイ人の客室乗務員ばかりで日本人が一人もいなかったのは、想像に難くない要因が顕著に表れているという事でしょう。機内免税品の販売もなく、いつももらう機内誌もないので、何もすることが無くなってしまい、映画を2本だけ観ました。

タイ時間の午後3時、TG645便は予定通りバンコクスワンナプーム国際空港に着陸しました。中部空港へ行くのも飛行機に乗るのもタイへ来るのもすべてが2年ぶりなので、きっとどこかで涙でも出るのだろうと予想していましたが、意外と感激は薄い物でした。というよりも、これから待ち受ける様々な困難にどう対処していくかで頭の中がいっぱいだったのかもしれない。しかし、シミュレーションは完璧で、タイ入国までの行程をYouTubeで暗記するまで確認しました。着陸から入国、そして、ホテル送迎の見つけ方まですべて頭の中に入っています。Thailand PassQRコードの画面を準備して、いざ機外へ。

まずは第1関門。Thailand Passを持っているかの確認。パスポートとThailand PassQRコードを見せて無事に通過。第2関門は通常の入国審査。これは過去に何度も経験しているので問題ない。利用者が少ないのであっさりと通過。第3関門は税関。申告しないといけない物はもっていないので、レントゲンでの手荷物検査があったにも関わらず無事に通過。第4関門はホテル送迎者とのコンタクト。税関審査を抜けて外に出たところにホテル名のボードをたくさん張り付けたブースが多数あったので一通り探したが、自分の宿泊するホテル名が見つけられなかった。ブースの人に聞いてみるとどうやら別の出口前だったようで、言われた通りに進み、ホテル名を伝えると、担当者がこっちだと呼んでくれた。パスポートの名前とリストにある名前を確認してから、自身のスマホで僕の顔写真を撮影したのち「あそこで少し待っていろ。」とベンチの方を指さしながら言われた。多分、近い時間にもう数人同じホテルを利用する到着者がいるのだと思われる。10分ほど待ってようやくさっきとは別の人がスマホで顔を確認しながら声をかけてきた。(顔写真の撮影はこのためだったのかと気付く。)そのまま、背が高くガッチリとした体型のタイ人女性?と僕とガイドの3人で100メートルほど離れたワゴン乗り場まで歩いていく。そこにはワゴン車が数台並んでいて、指示されたワゴン車にタイ人女性?と僕と二人で乗り込んだ。ふと腕時計を見ると、1530だった。たったの30分で空港の外に出たことになる。今までで最速だった。

ワゴンは動き出した。運転席と後ろの座席の間には透明のパーティションがあるだけで、運転手も防護服を着ているわけではない。もし自分がコロナだったらとか、もう一人の乗客がコロナだったらとか、そういう心配はするだけ損だという事なのだろう。コロナに罹患したらお見舞金が出るような国なのだから。

外の見慣れた景色を見るには見ているが、それは脳内に伝達される前にシャットアウトされていく。脳内はこれから起こりえる事の準備ですでに一杯だからだ。この後、どこかでPCR検査が待ち受けているはずだ。実は、日本出国の2日ほど前に簡易抗原検査をして、自分で陰性を確認しているので比較的気持ちは落ち着いている。もし、これをしなかった場合のドキドキ感は想像を絶するだろう。

ワゴンは、指定のホテルへ直行せず、脇道にそれた。大きな建物に緑十字が見える。いよいよだと心を決める。ワゴンが停まり、突然スライドドアが開く。防護服を着た人が何やら二人に手渡す。渡された透明な袋には、簡易抗原検査キットが入っている。「えっ、自分でやれって事?」と一瞬思ったが、もう一人のタイ人女性?は特に動きがない。こういう場合は何もわからないフリをしておくことが大事だ。焦って動くと損をする。また車が動き出した。病院の建物をぐるりと半周して、また停まった。今度は防護服を着た人が2名ワゴンの中に入ってきた。先ほど渡された透明な袋を取り上げられ、中から長い綿棒とプラスチックの筒を取り出した。筒にはすでに名前が印刷してあり名前の確認を求められたが、車内は暗いしおまけに老眼で小さな字が見えないので適当にうなずいておいた。その直後に鼻に綿棒を突っ込まれ10秒ほどグリグリとされた。綿棒を鼻から引き抜き慎重に筒に収め、防護服の人はいなくなり、ドアが閉まったかと思うと何もなかったかのようにワゴンは再び走り出した。3分程度の出来事である。涙と鼻水が出るのでティッシュで押さえる。咳もしたいが、コロナだと疑われる事が癪なので必死でこらえる。あと手元に残っているのは5日目に使うATKという事だった。わからないときは何もしない。 急いては事を仕損じる。

午後4時過ぎには指定のホテル前に到着しました。Thailand Pass取得の条件であるSHA+認定で、ソンクラーンの水かけ祭りで有名なカオサン通り近くのロイヤルラタナコーシンホテルです。1942年創業の歴史ある建物で、アール・デコ調の格式高い雰囲気は残っているものの、現在は安ホテルとしてかろうじて機能しているという感じです。日本帰国後に調べて知ったのですが、1992年にバンコクで起きた「暗黒の5月事件」の際、ホテル内に逃げ込んだデモ隊に向かって軍兵が発砲し多数の死者を出した場所としても知られているようです。タイの友人が予約してくれたのですが、最初から知っていたら絶対に泊まりませんでした。知らぬが仏。

まずは一緒にワゴンに乗ってきたタイ人女性?がチェックインをする。それに続いて僕もチェックインする。ホテルには通常は朝食がついているが、検査結果が出るまでは隔離という事なので、食料がない状態がどれだけ続くのかは不明となる。その為、朝食がいいのか夕食がいいのかを選べるようになっていた。もちろん夕食をお願いして、エレベーターで部屋へ移動する。ガタゴトと大きな音を立てながらスーツケースを押してロビーを移動していると、ポーターが気付いて荷物を運んでくれた。実は今朝セントレアに到着した所でスーツケースの4つある車輪の1つが壊れたので、真っすぐに走らなくなっていたのだ。2年ぶりだと色々なハプニングが起こる。子ども達へのお土産でスーツケースの総重量は優に30キロを超えている。久しぶりの出番でいきなり酷使されて28年物の古いスーツケースも泣いている。部屋に到着し室内を確認しているとスーツケースが届き、かろうじて2年前のバーツが残っていたのでポーターにチップを渡すことができた。そう、空港以外で両替のタイミングがなかったことに今頃気が付いた。空港やホテルは両替レートも良くないし、おまけに今の円安は簡単にタイを旅行させてくれない。後日、比較的レートの良いスーパーリッチという両替屋で確認した所、10,000円が2,650バーツにしかならなかった。3,000バーツ以上あった頃がとても懐かしい。

部屋では特にすることがないので、バスタブにお湯を張りゆっくりと浸かっていたら急にお腹が空いてきた。午後5時、日本時間の午後7時。日本時間のお昼の12時に出た機内食から何も食べていないので、もう7時間も何も食べていないことになる。もうすぐ夕食が届くことになっているので、それまでは水で我慢することに決めた瞬間にドアをノックする音が聞こえた。すぐにドアを開けたがもう人はいなかった。その代わり廊下に置いてある椅子の上に夕食が載せられていた。そこにあったのは、明朝まで寝るのに必要最低限のボリュームしかない小さなお弁当だった。5分でたいらげた。また沈黙が広がった。

0 件のコメント: