7/17/2022

6月29日(水) (その5)

 早朝4時半(日本時間6時半)、自然に目が覚めたのでシャワーを浴びて、なんとなく外を見るとまだ暗いので、もう少しだけゴロゴロします。お腹も空いてきたしやることもないので、まだ薄暗い中、少し外に出てみることにしました。2年前はちょっとしたカフェブームだったので、どこでも甘~いアイスラテを飲むことができましたが、コロナ禍になって営業が立ち行かなくなったのでしょうか、カフェスタンドはほぼ全滅していました。準備中のレストランの人にアイスラテの頼めるところはないかと聞くと、「すぐに作ってやるからちょっと待ってろ。」との事でした。注文の品を受け取り、1ドルを支払うと、お釣りは返って来ませんでした。そういう事です。ホテルに戻ると、Iさんがすでにロビーで待っていました。まだ545分です。アンさんは割と時間に正確なので、6時までは来ないと思いますが、Iさんを一人で待たせておくわけにはいかないので、急いで部屋に戻りチェックアウトしました。

 6時過ぎにアンさんが現れました。朝食がまだだったので、近くのレストランで僕とアンさんは豚ご飯、Iさんはおかゆを食べました。ここは以前にも来た覚えがあるので、アンさんの行きつけのお店のようです。途中、知合いのガソリンスタンドで給油をしてから、ポイペトへ向かいます。アンさんがガソリン代を受け取ろうとしないので、ダッシュボードに無理やり30ドルを置いておきました。車は59号線を北上し、マライという街から進路を東にとって、最後に少しだけ北上すると、ポイペトとシェムリアップを結ぶ国道5号線に突き当たります。右に進むとシェムリアップ、左に進むとポイペトという主要な交差点で、乗り合いタクシーの中継場所となっています。僕たちは、ここでアンさんと別れ、自力でポイペトへ行くことにします。アンさんは、「片道15分くらいだから送っていく。」というのですが、往復で30分のロスタイムになるので、かたくなに遠慮します。ポイペト付近は大渋滞が予想されため、普通乗用車ではかなり無理があります。この交差点で小型の3輪タクシーに乗り換えて、ポイペトに向かいます。3輪タクシー(トゥクトゥク)は、5号線を順調に西に進み、8時前にはポイペトの街に入ることができました。予想通りの大渋滞でしたが、トゥクトゥクは車の隙間を縫って進んでいきます。国境に到着し、運転手に10ドルを支払いました。約10㎞の距離が1,360円となります。

 いよいよカンボジア出国となります。出国審査場も新しい建物になっていたので、案内板を見ながら進んでいきます。2階へつづく階段を上り審査場のドアを開けると結構な列ができていました。カンボジア人もタイ人も外国人もすべてここを通過しないといけない様です。列に並んでいると、一人の審査官が声をかけてきました。パスポートを見るや否や、「タイの法律でカンボジアに5日以上滞在しないと、タイへの陸路での入国は拒否されるかもしれない。」の様なニュアンスの事を言ってきました。しかも、「トライ!トライ!」とも言っているので、そんな不確定な情報をこの期に及んで提供するなという感じです。「もしタイに入国できなかったら、どうしたらいいのか。」と尋ねると、「まぁ、何とかカンボジアに戻れるようにしてやるから、なんかあったらここへ連絡しろ。」とQRコードを見せてくれました。何か役に立ちそうだったのでLINEを交換しておきました。ようやく順番が回ってきたので、パスポートとワクチン接種証明書とビザのコピーを審査官に渡すと、どうやら滞在1日というのがネックだったらしく、「カンボジアへ何しに来たんだ?仕事か?」「どこへ行った?」などと質問されたので、「僕は日本のNGOのスタッフで、バッタンバン州のサンパオルンという小さな町で、奨学生30名に奨学金を渡すため、昨日タイからカンボジアへ入り、そこで午後1時から郡長さんなどを招待して奨学金授与式を開催しました。その後サンパオルンのホテルで1泊してから今ポイペトまで戻ってきたので、そのままタイへ渡ります。」とは言わずに、「シェムリアップで観光してきた。」とだけ伝えて事なきを得ました。本当のことを説明するのは、僕の英語力ではまず不可能ですし、審査官をさらに混乱させてしまいます。嘘も方便という事で、まずは第1関門突破です。

 次は、タイへの入国審査です。カンボジアの出国審査の建物を出て道路を横断し、タイの入国審査場を目指します。入国審査の前にタイランドパスの確認があり、パスポートとタイランドパスとワクチン接種証明書の提示を求められました。タイランドパスは事前にネットで陸路入国用のものを申請し取得しておいたので特に問題はありませんでした。2階へ上がり、次はパスポートコントロールです。こちらは比較的空いていました。どうやらカンボジア人には、別のルートがあるようです。この入国審査でもひと悶着ありました。タイを昨日の日付で出国し1日で戻ってきているので、どう考えても運び屋の行動です。「カンボジアへ何をしに行った?」とか「職業は?」とかいろいろと質問され、おまけに「今日はどこに泊まる?」「今後の行程は?」など、根掘り葉掘り聞かれたので、「今日はもう疲れたから、アランヤプラテートのホテルに泊まって、その後バンコクで1泊してからチェンマイへ行って、5日ほど滞在した後にバンコクに戻り、710日の飛行機で日本に帰る。ただの観光だ。」と帰国便の航空券のバウチャーを見せながら畳みかけると、「面倒くさいなぁ。」という顔で入国のスタンプを押してくれました。同行しているIさんにとっては、ハラハラドキドキの連続だったでしょうが、一生忘れられない思い出になったことと思います。

 朝9過ぎ、ようやくタイの地を踏むことができました。ここまでたったの3時間の出来事です。とにかくどこかエアコンの効いたところで落ち着きたいと思い、辺りを見回すと、小さなCafé Amazonが開いていました。なだれ込むように中に入り、甘くないアイスラテを注文し、席に座りました。ようやく一息付けたので、まずはムさんに迎えの連絡と、カンボジア人審査官へLINEへの返事をしました。この審査官のLINE情報を見てみると、家族の写真ばかりで特に悪い人ではなさそうなので、ただ純粋に親切心から忠告してくれたのだと思いました。次回からこの縁を有効活用させてもらいます。ムさんには事前に「10時頃に国境を越える予定」と伝えてあったので、「カフェでお茶していますので、ゆっくり来てください。」とだけ伝え、のんびり到着を待つことにしました。

 30分後の10時ちょっと過ぎ、ムさんが予定通りお迎えに現れました。ここ20年のタイの変化で一番気になっているのは、物価の上昇でもなく、街中にポイ捨てのゴミが見当たらなくなった事でもなく、すべての事が時間通りに進むという事です。その最たるものが、列車の運行時間です。長距離列車なら平気で23時間は遅れていたのに、今はほぼオンタイムです。また、待ち合わせの時間に関しても、10時と言っても平気な顔で11時に来る国民性だったのに、今は10時と言ったら10時なのです。タイ国民すべてが時間に管理されるようになるのは本当に幸せな事でしょうか。時計を気にしながら暮らすのは本当に豊かな生活と言えるのでしょうか。タイ人のマイペンライ(何とかなるさ)の精神が失われていくようで、なんだか寂しい気持ちになりますが、そんな変化もきっとマイペンライなのでしょう。

 ムさんの運転で、2002年支援のバンノンサメット学校を訪問します。この学校は、Iさんが初めてのワークキャンプで訪れたところで、いろいろと思い出深い体験をしたことと思います。カンボジアとの国境に接する村なので、キャンプ中の夜は銃を持った警備の人が常駐するというような危険な学校でしたが、今となっては良い思い出でしょう。校長先生は新しい人に代わっていましたが、ワークキャンプ当時からの先生もいらっしゃり、突然の訪問にもかかわらず、大歓迎してくださいました。学校の先生方曰く、キャンヘルプタイランドで建設した2階建ての校舎は、コロナ禍の休校中に患者の隔離施設としても利用され、村人総出で炊き出しをしたり、いろいろなケアをしたりして尽力したそうです。先生方や村人にとどまらず、世界中が一丸となってコロナと戦うというのは、ちょっとした感動すら覚えます。数年前の訪問時に、近くにある遺跡の学生ガイドとして正式な資格を取った女の子に、その遺跡を案内してもらったことがありました。「その子は今、どうしていますか?」と何気なく聞いてみたら、「数年前に、その遺跡の正式ガイドとして就職をして、さぁこれからというときに病気で亡くなってしまった。」と先生が教えてくれました。人生というのは、こんなものなのでしょうか。

 昼食をご馳走になり、学校内をいろいろと見て回った後、訪問記録に記帳をしてから、記念撮影をして学校を退散しました。ここからは僕の運転で、2009年支援のバンタイサマキー学校を訪問します。

 田舎の道を快適に飛ばし、30分後には、タイサマキー村に到着しました。この学校では、壁がなく多目的に利用できるホール兼体育館のようなものを建設しました。優秀な美術の先生が在籍していて、教え子が日本のMOA美術館児童作品展などで入賞し、美術室には外務大臣だったころの岸田さんからの表彰状も飾られていました。この先生は、今は単身赴任状態で、もうすぐ奥様の暮らすパタヤの方へ転勤されるそうです。タイサマキー学校にとっては、かなりの痛手になりそうで、少し残念で仕方ありません。次にこの学校に来たときは、もうこの先生はいないのかと思うと少し寂しいですが、建物にペイントされたC.A.N.H.E.L.P.Thailandの文字は残り続けてくれるでしょう。

 午後4時過ぎに学校を後にし、今日はサッケーオ市内のホテルに泊まります。3395号線を南西に向かって走り、ワッタナコーンの交差点を右折して33号線に入ります。約76㎞の距離をまた僕が運転します。夕方5時頃到着予定なので、ホテルの部屋で少しのんびりしてから夕食に出かけるという事にしました。

 夕食は、ベトナム料理の有名店「ร้านยายเต็ม อาหารเวียดนาม」にしました。「テムおばあさんのベトナム料理店」と訳すそうです。このお店は、料理もさることながら内装もすごくこだわっていて、平日の夜でも大繁盛でした。残ってしまった生春巻きなどは、持ち帰って翌日の朝食になりました。

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