7/18/2022

6月30日(木)(その6)

 朝5時、お腹が空いて目が覚めたので、昨日のベトナム料理の残りを食べました。一晩寝かせても十分美味しかったので星3つです。シャワーを浴び、身支度を整えて、7時前にホテルを出発します。今日は、2つの学校を訪問してからバンコクへ戻ります。ホテルを出て、2日前にも通った317号線を南下します。途中、ワッタナコーンの市場に寄り、簡単なスナック(串焼きの豚ともち米)を買ってムさんとIさんの朝食にしました。僕は高級ベトナム料理ですでにお腹がいっぱいです。

 2002年にワークキャンプを実施したバンサイトーン学校は3259号線沿いにあります。そうです、2日前にこの学校の前を通過したばかりです。校庭には大きな木がたくさんあり、先生方の職員室はいつも木陰に置かれたベンチです。門を入ってすぐの左側にある比較的新しい2階建ての校舎の前に車を停め、いつも先生方が座っているベンチの方へ歩き始めると、一人の先生がこちらに気づき、慌てふためいていました。まさに「慌てふためく」という単語を聞いたら、100人中100人が想像できる「慌てふためき様」でした。この先生も2002年当時からいる先生で、日本人のいたキャンプ中はお腹が大きくて、その時に生まれた子がもう二十歳という事です。校長先生は新しく若い先生に代わっていましたが、まだ、3名の先生が当時のままこの学校に在籍していました。ここでは図書館を建設しましたが、雨漏りで一部の天井が抜け落ちていました。まぁ、20年も経つとそうなります。でも、毎回こうやって突然視察に来るので、いつ見られてもいいようにすぐに修理されると思います。お昼を一緒に食べようと誘われましたが、次の学校へ行かないといけので、上手に断りました。この学校へ来ると、どうしても滞在時間が長くなるので、先にしておいて大正解でした。10時半においとまします。

 317号線を北上しカオチャカンまで戻ります。3035号線を左折し5056号線へ右折すると約4㎞で2007年にワークキャンプを実施したバーンクローンタンマチャート学校です。ここでは幼稚園校舎を建設しました。その頃の校長先生が最近亡くなられたという情報は、バンサイトーン学校の先生から聞いていたので、もう会えないのは少し寂しいですが、当時の先生方も数名残っているとの事で、建設した校舎を少しだけ見せてもらって帰ることにします。学校に到着して校内を歩いていると、当時いた先生が対応してくれました。幼稚園は若い先生ばかりだったので、キャンプの当時の事は知らないと思いますが、この幼稚園校舎は、まさしくキャンヘルプタイランドが建てたものです。新しい校長先生は不在でしたが、なんと、当時からいた女性の先生が校長に昇格していました。あまり長居するのも何なので、30分ほどの滞在で切り上げました。

 一応、これでバーンライサムシー学校の1校を残し、サッケーオ県でのワークキャンプ実施校は大体周れたので、バンコクへ戻ることにします。残りの学校は、また次回という事で。

 時刻は11時半です。お昼をどこで食べるかという問題が出てきました。とりあえず、ここから17㎞ほどのところにあるガソリンスタンドで休憩を取りながら考えようという事になりました。ガソリンスタンドでアイスラテを飲みながらいろいろと食事のとれる場所を探しましたが、Iさんが突然、「バンコクから来る途中の路肩で大きなメロンのオブジェを見た。」といいました。ムさんがスマホで検索すると、「บ้านเมล่อน เดสเสิรท」(メロンの家)というこじゃれたレストランだとわかりました。ここから約70㎞なので、1時間ほどの距離になります。予定到着時刻が午後1時なので、少しだけ遅い昼食になりますが、空腹より好奇心が勝ります。このガソリンスタンドで少しだけスナックを食べて、次の戦いに控えます。

 予定時間通り「メロンの家」に到着しました。ハウスメロン栽培とレストランが併設されたレストランで、メロンを使ったデザートがメインですが食事もできます。店内にはメロン直売所もあり、「まずはレストランで味見をしてから、気に入ったら買って帰ってね。」という事です。外観や内装や料理など、すべてがSNS映えを狙った作りですが、バンコクからはちょっとした小旅行の距離なので、日帰り観光客を取り込む戦略でしょう。本題の味はと言うと、日本で食べるメロンの方が断然おいしいですが、バンコクから2時間かけてくれば、それだけで5割増しという事です。

 午後2時、「メロンの家」を出発し帰路につきます。途中でスコールにあいましたが、スワンナプーム空港の手前まで、僕が運転してきました。さすがにバンコク市内の運転は怖いので、給油ついでにムさんと交代します。この調子なら午後4時にはバンコクの目的地に到着します。今夜は、Iさんはムさんの家に泊まり、僕はバンコクの友人の家に厄介になります。そして、明日の夕方の寝台列車でチェンマイへ向かうことになっています。

 友人の自宅前まで、ムさんに送ってもらいました。バンコクに暮らすその友人は、1996年頃のワークキャンプの通訳としてお世話になった人で、それからの付き合いなので、もう25年以上です。旅行会社を経営しているのですが、コロナ禍で売上が落ち込み大変だったと思います。ですが、持ち前のバイタリティーで何とかこの荒波を乗り切っています。実は今夜、その友人と食事会があるので、ムさんにIさんのお世話をお任せしたのでした。食事会と言っても、若手の男性歌手のディナーショーです。僕の友人も、どうしてもその歌手の歌が聞きたいのではなくバンコクの経営者ネットワークのお付き合いというスタンスなので、僕を一緒に連れていくのは、日本人を同席させて、「コロナ禍でも日本とのネットワークは途絶えていないぞ。」というアピールのためでしょう。お互い持ちつ持たれつの関係です。最後には、キャンヘルプタイランドの西川会長も呼び出してくれたので、約1か月ぶりに再会することができました。

つづく

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