4/30/2022

2年ぶりのタイ その4 4月16日

 4月16日(土)

 朝、ホアヒン行きのバスに乗るためにバスターミナルへ行く予定でした。が、タイ在住のキャンヘルプタイランドの西川会長が15日の深夜に日本から帰国し、朝ホテルでの1泊隔離が終了するので一緒にお昼ご飯を食べようという事になりました。11時に会長の宿泊している超高級ホテルのロビーで待ち合わせをし、すぐ近くの高級ホテルへ移動し、1階のレストランで有名なカオマンガイを食べることに。もちろん共通の友人のおごりなので、遠慮なくいただきます。しばらくすると、一人の初老のタイ人男性が現れました。友人が彼に声をかけてくれていたようです。彼は、昔TVドラマの俳優をしていて、今はその仲間たちと一緒にタイとミャンマーの国境付近の学校で支援活動をしているとの事です。ちょっとした有名人らしく、周りのテーブルからの目線が気になって仕方ありません。日本の芸能界に当てはめたら大体の事が皆さんにも伝わると思うのですが、まったく想像がつきません。まあ、バンコクではよくあることです。

 昼食後、会長を自宅の高級コンドミニアムまで送り届けてから、バスターミナルへ向かいました。午後2時過ぎにサイターイという南方面行のバスターミナルに到着し、ホアヒン行きのワゴンに乗りこみました。料金は160バーツです。バスだと34時間程かかるのですが、ワゴンだと2時間ほどで現地へ到着するようです。早くて安くて危険というのがワゴンの特徴の様です。水を買いトイレを済ませ7人ほどの先客のいるワゴンへ乗り込みました。ワゴンの中は3密どころの騒ぎではありません。コロナ患者がいないことを祈るばかりです。不安材料はもう一つあります。このワゴンがホアヒンのどこに到着するのかわからないのです。以前にも同じ海ツアーに参加したことがあるので、正確な宿泊場所は分かっているのですが、「バスターミナルに着いたら迎えに行くから連絡して。」というタッサニーさんにあまり迷惑をかけたくないと思い、できるだけ近くでワゴンを降りられたらなあと考えます。スマホのGPSで現在地を確認しながら、あと10キロほどの距離まで近づいてきたとき、一人の乗客が運転手に声をかけました。その後、ワゴンは左に寄って停まり、その乗客は降りてしまいました。「どうせ好きな場所で降りられるに違いない」という思惑が確信に変わりました。あとは自分の降りたい場所をどうやって運転手に伝えるかだけです。次々に他の乗客たちは思い思いの場所で降りていきます。幸いにも運転席のすぐ後ろの席が空いたので、そこへ移動し行き先を覗き込むように見ている様子を運転手に見せました。そうすれば、運転手は「この外国人はもうすぐ降りたいんだな。」と気付くはずです。この作戦は大成功で、心なしかワゴンのスピードもダウンしたように感じます。目的のコンビニが近づいてきました。指をさして「ストップ。」と言うと、ワゴンは見事にコンビニの前で停まりました。 コミュニケーション93%は言語以外という「メラビアンの法則」

 ここから、宿泊場所までは約700メートルなので、迎えを頼まなくても自分で歩いて行ける距離です。午後5時前の夕方でも気温は30℃以上あり、リュックを背負い両手にお土産を持って歩くにはちょっと年をとりすぎていますが、バイクタクシーもいませんのでひたすら歩くしかありません。あと100メートルというところでようやく1台のバイクが通りかかり、「どこへ行く?」「乗っていくか?」と声をかけてくれましたが、「もうすぐそこだから。」と断りました。こんな人の優しさは今のバンコクでは感じられない時代になってしまいました。そういえば25年前のバンコクでこんなエピソードがありました。とあるバス停でバスを待っていましたがそのバスがなかなか来ません。そんなとき中年の女性グループが話しかけてきて「どこから来たの?」「何しに来たの?」など、いろいろ聞かれました。ほんの数分の会話でしたが、女性グループはお迎えに来たワゴンに乗りこんでいきました。そうしたら最後にワゴンに乗りこもうとしていた女性が、「どこへ行くの?」と聞いてきたので、「フォアランポーン(バンコク中央駅)」と言うと、「じゃあ、一緒に乗ってきな。」というニュアンスの言葉を発しました。人の優しさを実感したちょっとした場面でした。

 今回宿泊したのはホアヒンの少し北のチャアムという場所にあるクリスチャンミッションコテージという施設です。キリスト教系の研修宿泊施設ですが、コテージが6棟と調理場付の大食堂もあり、何より海岸まで0分つまり目の前が砂浜という立地の良さが一番のウリです。ここへ来るのは3度目ですが、毎回少しずつ改善されて、どんどん快適になっていきます。今回一番驚いたのは、トイレがほとんど洋式になっていたことでした。

 5分ほど歩き入口のゲートをくぐり、海まで真っすぐ続く道を進むと、遠くから僕を呼ぶ声がしました。タッサニーさんの娘さんのトゥンちゃんでした。彼女は、大学を卒業後、チェンライのメーファールアン大学で教員となり、その後、台湾へ留学をしている途中でコロナ禍となってしまい帰国もままならない状態でしたが、昨年にようやくタイへ戻ることができたそうで、会うのは5年ぶりくらいでしょうか。その横でタッサニーさんも驚いた表情でいたので、片言のタイ語で挨拶をしました。カサロンの家や希望の家の子ども達はどうやら明日の早朝にこちらに到着するようで、今はまだ、第1陣としてタッサニー夫妻と運転手のゲン君とソムサック君、数人の学生が準備にために事前に来ているとの事でした。トゥンちゃんは、別行動で、チェンライから飛行機でバンコクスワンナプーム空港に移動し、そこでレンタカーでここまで来ているそうです。

2年のブランクは僕の独学のタイ語にはとても厳しく、こちらが伝えたいことも相手の言いたいこともほとんどわからない状態になっていました。単語を忘れてしまったというよりも、脳のどこにしまったのかわからなくなったというのが正しいかもしれません。ゆっくり考えながら話すとか相手にゆっくり話してもらうとかすれば多少は理解できるのですが、ネイティブのスピードにはついていけなくなっています。また1からやり直しですが、徐々に慣れていくしかないようです。

日本から持ってきたお土産を渡してから、これから1週間生活するコテージへ荷物を運びこみました。ベッドメイクや蚊帳の設置は、どうせ慣れない日本人がやっても結局直されて2度手間になるので学生達にお願いしました。まだ外は明るいので、少しだけ景色を楽しむために海岸に降りてみました。きれいな砂浜の広がった遠浅の素晴らしいビーチです。これならきっとキスが釣れるだろうと感じました。ビーチからタッサニーさんたちのコテージへ戻ると、なんと、そこではタッサニーさんの旦那さんのプラセンさんが釣り道具のメンテナンスをしているではないですか。軽く挨拶をして、すぐに自分の釣り道具をとりにコテージへ戻りました。プラセンさんは釣りが趣味なので、今回も必ず釣り道具を持ってきているに違いないと思い、僕もリュックに忍ばせていました。すぐにプラセンさんのいるコテージにとんぼ返りをすると、自分の道具を自慢げに見せました。プラセンさんがニヤリとしたのが分かったので、僕もニヤリとしました。言葉は不要です。これで100%の意思疎通が完了です。

そういえば、夕食にエビを食べた学生の一人が、タッサニーさんに「首がかゆい。」と言ってきました。間違いなく甲殻類アレルギーです。すぐに病院へ行き薬をもらってきて大事には至りませんでしたが、彼女は、この先一生エビを見るたびに今回の海ツアーの事を思い出すのでしょう。

つづく

4/29/2022

2年ぶりのタイ その3 4月15日

 415日(金)ホテルの宿泊確認

深夜0時、部屋の電話が突然鳴った。「名前は?」と言われ、答えると「Negative(陰性)」とだけ言って電話は切れた。 夢かもしれないと思った。

4時、空腹のあまり目が覚め、もう一度バスタブにお湯を張り、身支度を整え、近くのセブンイレブンの場所を調べ、勇気を振り絞って部屋のドアを開けた。5時半。まだ外は薄暗い。なるべく目立たないように歩道の隅を歩き、5分ほど離れたところにあるセブンイレブンに向かった。こういう時コンビニのありがたさが身に染みて分かる。パン、コーヒー、ヨーグルト、シャンプ―、歯磨き粉などを買ってからそそくさとホテルへ戻る。朝食を食べ終わったところで、ふと時計を見るとまだ7時にもなっていない。友人のお迎えは8時頃なのでまだ1時間以上ある。 やる事がないという事が、人間にとっては一番惨め事かもしれない。

7時半、我慢しきれずにチェックアウトすることにしました。フロントでカギを返すと代わりにPCR検査の陰性証明書が貰えました。今後どこで使えばいいのかわからないただの書類です。735分、ロビーに併設されているカフェでアイスラテを注文し席に着いたところで、友人からLINEが届きました。「820でお願いします。」「了解」と返事を打つと、840分にようやく迎えが来ました。 タイに来たんだと実感する。

友人の車に乗り込み、まずは昨日の出来事を一通り説明する。友人も最近のバンコクの様子を教えてくれる。丁度ソンクラーンの時期なのだが、今年も水かけは禁止だそうで、おとなしいソンクラーンも今年で3回目となります。年々過激化していた水かけ祭りにコロナが水を差す形になってしまいました。伝統文化は、何かあるとあっさりと中止になるが、その後は、もとに戻るか改革されるか無しになるかの3つしかない。どれになるのやら。などと考えているうちに友人宅に到着です。

バンコクの現在の様子はというと、2年前とほとんど変わらないほど活発に機能している。ただ、外を行きかう人々は皆マスクをしているし、歩道橋などによくいる物乞いの人たちも、透明なフェイスシールドを付けて楽器を演奏したりしている。各店舗の入り口には必ず温度計が設置してあって消毒用のアルコールも誰でも使える状態になっており、ほとんどの人が温度計に手をかざしアルコール消毒をしている。慣れというものは恐ろしいもので、あのタイ人がちゃんと列を作って温度計の順番を守っているのである。また、日本でもよく見るバイク系の宅配サービスだが、今、タイはそれが全盛で、街中を走っているバイクの5台に3台は何かしらの宅配サービスのバイクだろう。カラフルな色のバッグを後部座席に載せて走っているのですぐにわかる。友人が、Amazonというカフェをやっているのだが、注文の8割は宅配サービスだそうです。

友人所有のコンドミニアムを借りて1泊したのち、明日はいよいよホアヒンへの旅が始まります。

つづく

4/28/2022

2年ぶりのタイ その2 4月14日(木)出発

 414日(木)1100中部国際空港セントレア発のタイ国際航空645便

 朝の中部国際空港は、閑散としていました。国内線の利用者数は回復傾向にあるようですが、国際線の運航はタイ行とフィリピン行の2便だけです。そして、それぞれに搭乗人数制限がかけられているでしょうから、仕方のないことですが、寂しい限りというか本当に残念でなりません。

8時にタイ航空のチェックインカウンターが開きましたが、100人も並んでおらず、そのうちの半分近くはバンコクスワンナプーム国際空港で乗り継ぎ他の国へ行ってしまうでしょうから、実質タイへ純粋に観光目的で出かけるのはほんの数人で、本当の物好きという事になります。

いつもなら行列のできる手荷物検査と出国審査もスムーズに通り抜け、最初に目にしたのが、免税店が開いているという衝撃的な光景でした。国際線2便だけのために、ましてや搭乗客も少ない中でも、免税店を開けるという根性に感服しました。こうなると売り上げに貢献しないわけにはいけません。さすがにハイブランドの免税店に用事はありませんでしたが、化粧品コーナーやお菓子コーナーなども開いており、タイの子ども達の顔を思い浮かべながら、「白い恋人」や「じゃがポックル」のひと箱の入数を子ども達の人数で割ったり、友人のためにタイ入国時のタバコや酒の免税範囲を確認したりしながら、客の数より店員の数の方が多いという耐え難い状況を何とか耐え抜きました。そして、搭乗が完了し定刻通りボーイング737は動き出しました。

出発後すぐに機内食のサービスが始まりました。チキンかフィッシュを選択できましたが、魚の嫌いな僕はもちろんチキン1択です。チキンとマッシュポテトのクリーム煮込みとでもいうのでしょうか。2年ぶりの機内食なのでおいしく感じましたが、サーブするのはタイ人の客室乗務員ばかりで日本人が一人もいなかったのは、想像に難くない要因が顕著に表れているという事でしょう。機内免税品の販売もなく、いつももらう機内誌もないので、何もすることが無くなってしまい、映画を2本だけ観ました。

タイ時間の午後3時、TG645便は予定通りバンコクスワンナプーム国際空港に着陸しました。中部空港へ行くのも飛行機に乗るのもタイへ来るのもすべてが2年ぶりなので、きっとどこかで涙でも出るのだろうと予想していましたが、意外と感激は薄い物でした。というよりも、これから待ち受ける様々な困難にどう対処していくかで頭の中がいっぱいだったのかもしれない。しかし、シミュレーションは完璧で、タイ入国までの行程をYouTubeで暗記するまで確認しました。着陸から入国、そして、ホテル送迎の見つけ方まですべて頭の中に入っています。Thailand PassQRコードの画面を準備して、いざ機外へ。

まずは第1関門。Thailand Passを持っているかの確認。パスポートとThailand PassQRコードを見せて無事に通過。第2関門は通常の入国審査。これは過去に何度も経験しているので問題ない。利用者が少ないのであっさりと通過。第3関門は税関。申告しないといけない物はもっていないので、レントゲンでの手荷物検査があったにも関わらず無事に通過。第4関門はホテル送迎者とのコンタクト。税関審査を抜けて外に出たところにホテル名のボードをたくさん張り付けたブースが多数あったので一通り探したが、自分の宿泊するホテル名が見つけられなかった。ブースの人に聞いてみるとどうやら別の出口前だったようで、言われた通りに進み、ホテル名を伝えると、担当者がこっちだと呼んでくれた。パスポートの名前とリストにある名前を確認してから、自身のスマホで僕の顔写真を撮影したのち「あそこで少し待っていろ。」とベンチの方を指さしながら言われた。多分、近い時間にもう数人同じホテルを利用する到着者がいるのだと思われる。10分ほど待ってようやくさっきとは別の人がスマホで顔を確認しながら声をかけてきた。(顔写真の撮影はこのためだったのかと気付く。)そのまま、背が高くガッチリとした体型のタイ人女性?と僕とガイドの3人で100メートルほど離れたワゴン乗り場まで歩いていく。そこにはワゴン車が数台並んでいて、指示されたワゴン車にタイ人女性?と僕と二人で乗り込んだ。ふと腕時計を見ると、1530だった。たったの30分で空港の外に出たことになる。今までで最速だった。

ワゴンは動き出した。運転席と後ろの座席の間には透明のパーティションがあるだけで、運転手も防護服を着ているわけではない。もし自分がコロナだったらとか、もう一人の乗客がコロナだったらとか、そういう心配はするだけ損だという事なのだろう。コロナに罹患したらお見舞金が出るような国なのだから。

外の見慣れた景色を見るには見ているが、それは脳内に伝達される前にシャットアウトされていく。脳内はこれから起こりえる事の準備ですでに一杯だからだ。この後、どこかでPCR検査が待ち受けているはずだ。実は、日本出国の2日ほど前に簡易抗原検査をして、自分で陰性を確認しているので比較的気持ちは落ち着いている。もし、これをしなかった場合のドキドキ感は想像を絶するだろう。

ワゴンは、指定のホテルへ直行せず、脇道にそれた。大きな建物に緑十字が見える。いよいよだと心を決める。ワゴンが停まり、突然スライドドアが開く。防護服を着た人が何やら二人に手渡す。渡された透明な袋には、簡易抗原検査キットが入っている。「えっ、自分でやれって事?」と一瞬思ったが、もう一人のタイ人女性?は特に動きがない。こういう場合は何もわからないフリをしておくことが大事だ。焦って動くと損をする。また車が動き出した。病院の建物をぐるりと半周して、また停まった。今度は防護服を着た人が2名ワゴンの中に入ってきた。先ほど渡された透明な袋を取り上げられ、中から長い綿棒とプラスチックの筒を取り出した。筒にはすでに名前が印刷してあり名前の確認を求められたが、車内は暗いしおまけに老眼で小さな字が見えないので適当にうなずいておいた。その直後に鼻に綿棒を突っ込まれ10秒ほどグリグリとされた。綿棒を鼻から引き抜き慎重に筒に収め、防護服の人はいなくなり、ドアが閉まったかと思うと何もなかったかのようにワゴンは再び走り出した。3分程度の出来事である。涙と鼻水が出るのでティッシュで押さえる。咳もしたいが、コロナだと疑われる事が癪なので必死でこらえる。あと手元に残っているのは5日目に使うATKという事だった。わからないときは何もしない。 急いては事を仕損じる。

午後4時過ぎには指定のホテル前に到着しました。Thailand Pass取得の条件であるSHA+認定で、ソンクラーンの水かけ祭りで有名なカオサン通り近くのロイヤルラタナコーシンホテルです。1942年創業の歴史ある建物で、アール・デコ調の格式高い雰囲気は残っているものの、現在は安ホテルとしてかろうじて機能しているという感じです。日本帰国後に調べて知ったのですが、1992年にバンコクで起きた「暗黒の5月事件」の際、ホテル内に逃げ込んだデモ隊に向かって軍兵が発砲し多数の死者を出した場所としても知られているようです。タイの友人が予約してくれたのですが、最初から知っていたら絶対に泊まりませんでした。知らぬが仏。

まずは一緒にワゴンに乗ってきたタイ人女性?がチェックインをする。それに続いて僕もチェックインする。ホテルには通常は朝食がついているが、検査結果が出るまでは隔離という事なので、食料がない状態がどれだけ続くのかは不明となる。その為、朝食がいいのか夕食がいいのかを選べるようになっていた。もちろん夕食をお願いして、エレベーターで部屋へ移動する。ガタゴトと大きな音を立てながらスーツケースを押してロビーを移動していると、ポーターが気付いて荷物を運んでくれた。実は今朝セントレアに到着した所でスーツケースの4つある車輪の1つが壊れたので、真っすぐに走らなくなっていたのだ。2年ぶりだと色々なハプニングが起こる。子ども達へのお土産でスーツケースの総重量は優に30キロを超えている。久しぶりの出番でいきなり酷使されて28年物の古いスーツケースも泣いている。部屋に到着し室内を確認しているとスーツケースが届き、かろうじて2年前のバーツが残っていたのでポーターにチップを渡すことができた。そう、空港以外で両替のタイミングがなかったことに今頃気が付いた。空港やホテルは両替レートも良くないし、おまけに今の円安は簡単にタイを旅行させてくれない。後日、比較的レートの良いスーパーリッチという両替屋で確認した所、10,000円が2,650バーツにしかならなかった。3,000バーツ以上あった頃がとても懐かしい。

部屋では特にすることがないので、バスタブにお湯を張りゆっくりと浸かっていたら急にお腹が空いてきた。午後5時、日本時間の午後7時。日本時間のお昼の12時に出た機内食から何も食べていないので、もう7時間も何も食べていないことになる。もうすぐ夕食が届くことになっているので、それまでは水で我慢することに決めた瞬間にドアをノックする音が聞こえた。すぐにドアを開けたがもう人はいなかった。その代わり廊下に置いてある椅子の上に夕食が載せられていた。そこにあったのは、明朝まで寝るのに必要最低限のボリュームしかない小さなお弁当だった。5分でたいらげた。また沈黙が広がった。

4/27/2022

2年ぶりのタイ その1 プロローグ

2022年、観光立国タイの政府は、海外から来る観光旅行者の受入れ拡大に舵をとり始めました。具体的には、コロナワクチン接種を前提とした観光目的の入国許可(Thailand Pass)と入国時のRT-PCR検査による陰性者の隔離期間の廃止(4/1現在)です。これらにより実質、誰でも自由にタイに入国することが可能となりました。

それでも、タイ入国時のPCR検査の結果を待つためにバンコク市内のホテルの予約をしたり、そのホテルへ行くための送迎を予約したりと、まだまだコロナ禍以前の状態に完全に戻ったわけではありません。入国までに越えなくてはならないハードル高さが全体的に低くなっただけの話です。中でも高いハードルは、タイ入国5日目に義務付けられている簡易抗原検査です。ホテル到着時に渡される検査キット(ATK)を使用しセルフチェックするのですが、「どうやって検査するのか?」「どうやって報告するのか?」と疑問だらけです。ATKキットにはかろうじて英語の使用説明書がありましたが、結果報告の方法ついては何一つ説明がありませんでした。

Morchana(モーチャナ)というタイ国内用の追跡アプリをスマートフォンにインストールしておき、そのアプリを使ってATKの結果を写真で報告するのは事前に調べて知ってはいましたが、そのアプリも不具合が多く、本当に信用できるのか分かりませんし、アプリ内を見ても報告用の画面が見当たりません。まあ、旅行者は5日の猶予があるので、それまでに自分で何とかしろという事でしょう。

2年ちょっとぶりにタイへ行くことにしました。というのも、カサロンの家の子ども達が、417日からバンコクの南にあるホアヒンへ海ツアーに行くという情報を3月中旬にキャッチしたからでした。

そこからの僕の行動はとても素早い物でした。とにかく情報がないと始まらないので、YouTubeでタイ渡航に関する動画を片っ端から確認し、それと同時に現地の友人に連絡も取りつつ、タイに入国するために必要な情報収集、自分の仕事の調整、航空券の予約、ホテルの予約、ワクチン接種証明書の申請、出国前72時間以内のPCR検査とそれに伴う陰性証明の取得などなど、確実に一つずつ潰していきました。

幸い41日からのタイ入国に関して、日本出国前72時間以内のPCR検査陰性証明取得の義務が無くなったので、これでハードルが一つ少なくなりました。しかし、喜んでばかりはいられません。事前に陰性証明の取得が無くなったことで、自分が今現在コロナに罹患しているかの確認ができず、もし現地についてからのPCR検査で新型コロナウイルスの陽性反応が出た場合には、その時点から慣れないタイの病院で1週間の隔離が始まるという懸念材料が一つ増えたにすぎません。入院費用に関しては、Thailand Passの取得条件の中に疾病2万ドル以上の旅行傷害保険の加入が義務付けられているので、それで補うことになるのですが、これもタイの考えた「どっちに転んでも丸儲け」の神システムです。

つづく