今回の海ツアーにご支援いただいた会員の皆様及び名古屋千種ロータリークラブの皆さま、本当にありがとうございました。YCFの子ども達に代わってお礼申し上げます。
今回の海ツアーも大成功でした。そして、真っすぐに海を見つめる子ども達の顔を横から見られただけで、キャンヘルプタイランドの活動を続けてきて本当に良かったと思います。
この旅行で感じたことは、まさしくタイと日本との国民性の違いでした。コロナ禍となり、世界中の経済が落ち込み、人々の心も疲弊していく中、タイはいち早く“開国”という舵取りを政府が行い、一方日本政府は水際対策にかこつけて、実質“鎖国”の政策を実施しています。“国民=政府”なので、これは国民の意志と言うほかありません。やはりタイ人には“マイペンライ(問題ない)”精神が根付いているのです。どちらが正解という事はありませんが、結局、国民にとってどちらが暮らしやすいかという事ではないでしょうか。
以前から日本政府は、外国人労働者の受け入れについて、いろいろな方面からの圧力もあって就労ビザの発給にはとても慎重です。そこで優秀な官僚の知恵を絞って編み出されたのが、技能実習制度や留学生制度です。僕の住んでいる小牧市のコンビニなどは、ベトナム人留学生がアルバイトをしています。そして、近所の讃岐うどん店もまたベトナム人達が調理や接客を任されています。大規模な農業法人や中小の下請け工場などは外国人技能実習生の労働力に依存し、地方の私立大学などは留学生の受け入れをしないと存続も危ぶまれるほどに経営難に陥っています。そんな中、新型コロナ感染症がスタートした2020年度の早い段階から日本政府は外国人の受け入れを制限し、原則2年で帰らないといけない技能実習生の交代もできず、留学生の受け入れもストップしてしまいました。コロナで売り上げの減った企業は、まずは外国人の雇止めを開始します。給料がなくなり、家賃も払えず、帰りの飛行機も飛ばない多くのベトナム人は、行き場を失い、途方に暮れてしまったことでしょう。名古屋のあるお寺が、そんなベトナム人を受け入れ始めたのがニュースになったほどです。
今回のコロナ騒ぎで世の中が大きく変動したように見えます。ですが、これを教訓にして今後の人生を生きていける人は医療関係者などほんの一握りだと思います。9.11も3.11も当事者以外には、特に大きな影響はなかったのです。というか、記憶には刻まれているけれど、普段の生活でそれを思い出す場面があるかというと、きっかけがない限りほぼないでしょう。さすがに第2次世界大戦は日本国民のほとんどに影響がありました。ほぼすべての国民が当事者でした。ですが、戦後70年以上が過ぎてしまうと、ほぼその世代の人はいなくなり、また同じ事の繰り返しです。コロナ禍でこんなに大騒ぎしても、数年後には何もなかったかのように、今よりももう少しだけ生きづらい世の中を普通に暮らしているのだと思います。
今回の訪タイは約2年ぶりでしたが、僕にとって、このブランクはかなり大きなものでした。ですが、すぐに元に戻るという確信も得ることができました。YCFの子ども達に最初に会った時に感じた違和感は、言葉の問題というよりも感覚の問題でした。一度でも身につけた感覚は自転車に乗るときのバランス感覚の様に何年たっても忘れません。思い出すのに少し時間が必要なだけです。
コミュニケーションの感覚は鍛えれば鍛えるほど上手になるし、生きていくための力にもなります。ただ、どうやって鍛えるのかがわからないという事が課題です。参考文献を片っ端から読んで分かりません。デジタル社会になり、世の中がどんどん便利になっていくことで、人との関わりがますます希薄になっていきます(3回目)。そんな中でコミュニケーション能力を鍛えろと言われても、皆目見当もつきません。スマホもインターネットもなく言葉も全く通じない異国に一人ぼっちにされた時のことを想像してみてください。どうやって生きていきますか? 生きていけますか?
結局、最後のスワンナプーム空港で簡単な会話をかわしたバングラティシュから来た学生さんが無事に日本に入国できたかどうかは分からずじまいでした。しかし、彼らは異国の地でも必ずたくましく生きていくことでしょう。
おしまい