7/14/2022

6月28日(火) (その4)

  朝食はお弁当だったので、フロントへ取りに行き部屋で食べることにします。ちょっとピリ辛のガパオライスでしたが、ペロリと完食しました。お弁当の袋の中にはガパオライスのほかに、口の中の水分をすべて持っていかれそうなクラッカーと、どう見ても小児用風邪薬としか思えない真っ赤な飲み物らしきものが付いていました。勇気を振り絞って飲んでみると想像通りの味で、テンションが下がりました。

 8時過ぎにホテルをチェックアウトし、2015年にワークキャンプを行ったバーンカオディン学校を目指します。昨日の317号線を南下し、3259号線を東に進むとクローンハートの街にぶつかります。そこからクローンハートの街を1.3㎞ほど超えたところを右折して2.5㎞ほど進むとカオディン村に到着です。

 バーンカオディンは、カンボジアとの国境に接する位置にある小さな村ですが、昔からある村ではなく、カンボジアの内戦終結後に政策的に作られたもので、村の道路はすべて直角に曲がっています。各家庭には、空襲から身を守るための防空壕(バンカー)があり、学校の敷地内にも生徒を守るための大きなバンカーがあります。キャンヘルプタイランドは、2015年にこの学校で図書館を建設しました。

 今回の旅行に関して、事前にムさんと綿密な打ち合わせを行い、無駄のないスケジュールを組み上げました。カオディン学校のすぐ近くにはタイとカンボジアとの小さな国境があり、その国境が最近、正式な国境になったという発表がありました。正式な国境になったというのは、以前はその周辺に住んでいるタイ人なら自由に行き来できたのが、それ以外の人でも行き来できるようになったという事です。タイのホームページにもちゃんとそのようなことが記してあり、また、カンボジア側の協力者にも確認したところ、ワクチン接種証明書があればカンボジアからタイへ入国もできるとの事だったので、その国境を利用する計画を立てました。そこを越えれば、カンボジア側の支援地域のサンパオルンは目と鼻の先です。カンボジア側で午後1時からの奨学金授与式を設定し、それに間に合うように午前9時頃にカオディン国境を渡れば、サンパオルンの街でお昼ご飯を食べてからゆっくり授与式会場へ行けるという比較的余裕のある予定の立て方でした。

 カオディン学校の校長先生は不在でした。2015年にこの校長先生の口利きでカンボジアへ入り、カンボジア軍の車(ハマー2)に先導されながらサンパオルンの街や学校を見学させてもらいました。もし、国境が外国人に対してオープンになっていなかったら、校長先生に頼んで少しだけカンボジアへ入れてもらおうという計画は実行不能になりました。学校にいた先生方にワークキャンプで建設した図書館を少しだけ見せてもらい、その後、すぐに国境へ向かいました。ムさんはカンボジアへはついてきませんが、国境での通訳は手伝ってもらえることになっています。

 カオディン学校から直線で2㎞の距離にある小さな国境に到着し、車を停めて歩いてカンボジアへ渡ります。まずは、タイの出国審査です。パスポートを見せながらどこへ行ったらいいのかと聞いたら、国境にいた係の人が何やら慌てて電話をしだしました。そして、「この国境は、まだ外国人には解放されていない。」という一言を発しました。午前920分の事です。下手にごねても時間の無駄なので、すぐにプランBに変更です。この国境から北に55㎞ほどのところにあるアランヤプラテートのロンクルア国境を目指し、そこからカンボジアのポイペトへ渡り、そこから約60㎞をタクシーでサンパオルンまで戻るというプランです。アランの国境まで約1時間、国境の通過に約1時間、ポイペトからサンパオルンまで約1時間で、トータル3時間になります。9時半にここを出発しても12時半にはサンパオルンに戻ってこられます。お昼ご飯を食べる時間はないですが、午後1時からの授与式にはかろうじて間に合いそうです。

 ムさんの運転で一路ロンクルア国境を目指します。その間に、スマートフォンを使って、カンボジア側の協力者のアンさんに連絡を取り、今からポイペトを目指すことを伝えました。アンさんは、すでにカオディン国境(カンボジア側はプノムデイ国境)のカンボジア側で我々の到着を待っていてくれたのですが、とりあえず、教育委員会の事務所で待機していてくれるとの事でした。

 10時ちょうどにロンクルア国境に到着しました。約50㎞を30分で来たので、平均時速は100/hを越えています。ムさんは、僕たちを国境に降ろし、ここからは別行動になります。国境の手前にある5バーツの有料トイレを使って気を落ち着かせ、いざ出国審査場へ向かいます。ここからは1㎞ほどを徒歩で移動しなくてはなりませんが、もう何度も越えている国境なので特に問題はありません。タイの出国審査場では、27日入国で28日出国なので少し怪しまれましたが、何とかパスポートにスタンプがもらえました。そのまま、国境の小さな橋を徒歩で渡り、次はカンボジアへの入国審査です。入国には、入国ビザとワクチン接種証明書が必要です。日本で事前にオンラインでビザを取得していたので、それとワクチン接種証明書と入国カードとパスポートを審査官に渡しました。2020年にこの国境を越えた時、入国審査場は掘っ立て小屋のような小さな建物でしたが、ポイペトの国境も再開発されタイに負けないくらいの立派な建物になっていました。無事にカンボジアへ入国できたので、今度はサンパオルンへ行くタクシーを探します。貸切タクシーでも30ドルが相場の距離なので、「50ドルなら行くよ。」というタクシーの運転手に「30ドルでどうだ。」と言うと、「ガソリン代が上がっているから無理だ。」と言われました。タイもカンボジアも日本と同じくガソリンを輸入に頼っているので、すでに1リットル当たり200円以上の値段になっていて、日本よりも高いのです。「45ドルでどうだ。」という運転手と「40ドルなら。」という僕とで5ドルのせめぎ合いが続きましたが、こちらは1分でも無駄にしたくないので、45ドルで折れました。国境の通過で戸惑ったので11時を少し超えた頃でした。

 タクシーの後部座席には大きな荷物が載っていたので、どこかに届けるのかと思いましたが、運転手が電話で何やら誰かと連絡を取り、その荷物はどこかへ運ばれて行きました。その後、日本人二人を乗せたタクシーはサンパオルンへ向かいます。タイとの国境近くではタイの携帯電話の電波が拾えるのでネットにはつながりますが、内陸部に入るとそうはいきません。あいにくカンボジアのシムカードはもっていないので、しばらくアンさんには連絡が取れないことになります。そこで、運転手の電話を有効利用します。アンさんの電話番号を運転手に見せ、「ここに電話して。」と伝えます。しつこく鳴らせば知らない電話番号でもアンさんも気づいてくれるはずです。アンさんがすぐに電話に出ました。タクシー運転手は外国人を乗せて南に向かっていることをアンさんに伝え、アンさんは最終目的地を運転手に伝えてくれたはずです。これで何かあってもアンさんはこちらに連絡できます。これが海外での処世術です。

 タクシーは順調に59号線を走り、予定通り12時半にサンパオルンの街に入りました。ただ、奨学金用の米ドルの現金をまだ入手していないので、ACLEDA銀行へ寄ってくれるように運転手に伝えました。奨学金の総額2,400ドルを持ち歩くのはちょっと勇気がいるので、Western Unionという海外送金サービスを利用し、日本から自分あてに現金を送金しておきました。身分証明書と送金コードがあれば海外でも現金が引き出せるし、送金手数料も安いのでかなり便利なサービスです。しかし、この現金の引き出し手続きに思ったより時間がかかりそうだったので、外に待たせてあるタクシーとIさんを見に行くと、なんとアンさんも待っていてくれました。ここからはアンさんの車で授与式会場へ行けるので、タクシーはお役御免です。待たせた分を追加して運転手に50ドルを渡すと嬉しそうに受け取りました。

 もう10分ほど待って、ようやく現金にありつくことができました。一人80ドルの奨学金用の現金なので、100ドル札はいらないと伝えると、10ドル札がないから20ドル札でもいいかと言われました。その方が、数える手間が省けるので大歓迎です。20ドル札120枚を受け取り、そのままアンさんの車で奨学金授与式会場へ向かいます。時刻は午後15分です。

 5分後、授与式会場となるサンパオルン郡の庁舎の前を通り抜け、その奥にあるアンさんのオフィスの前で車を降りました。すぐに汗だくのTシャツの上に襟付きのシャツを着て、授与式の準備にかかります。封筒を買う時間がなかったので、アンさんに「白い紙を35枚ほどもらえるか。」と伝えると「封筒がいるのか。」との返事。仕事ができる人というのはこういう事なのです。1いうと10わかってくれるので、アンさんとはとても仕事がしやすいです。すぐに封筒に20ドル札を4枚ずつ入れ、30セットを準備しました。そして、それをもって会場に入り、指定された席に座りました。午後130

 まだ最近代わったばかりのサンパオルン郡の郡長も同席され、奨学金授与式がなんとなく始まりました。Iさんには事前にお願いしていたので、かなり流ちょうな英語でスピーチされました。練習の賜物だと思いました。それをアンさんがクメール語に訳していくのですが、わりとすんなり訳していくので、どうしてだろうと思っていたら、僕が銀行で待たされている間に二人で読み合わせをしていたようです。Iさんもこういうところは抜かりがありません。29名の子どもと1名の代理の学校の先生に奨学金を授与し、集合写真も撮って無事に式は終了しました。その時、一人の女の子が駆け寄ってきて英語で何やらIさんに話しかけてきました。小学生の英語なので拙くてよく理解できませんでしたが、今年から4年生になった事や過去に奨学金をもらっていた事など断片的に想像できました。後で、この子の写真を撮っておけばよかったと少し後悔しました。怒涛の5時間で、朝から何も食べてなくお腹がすごく空いていることにようやく気づきました。午後230

 アンさんにレストランへ連れて行ってもらうと、そこで激しいスコールが降ってきました。天井のトタンにたたきつける雨音で会話はほとんどできませんでしたが、久しぶりの再会を喜び合いました。食事後、とりあえずホテルまで送ってもらい、夕食の約束をしてからアンさんと別れました。チェックイン後は、死んだようにベッドに倒れこみました。

 午後6時、目が覚めたのでシャワーを浴びました。ホテルのWi-Fiに接続できたので、とりあえずムさんと連絡を取り、無事に授与式が終了したことを伝えました。ムさんは、昨夜のホテルを連泊にしていたので、一人で約80㎞の道のりを運転して戻ったそうです。

 午後7時、アンさん家族がホテルまで迎えに来ました。アンさんは奥さんと長男・次男・長女の5人家族で、長男はシェムリアップの大学で日本語の勉強をしているそうです。普通乗用車にアンさん家族4人と日本人2名の計6名が乗り込み、レストランへ向かいます。今夜は焼肉パーティーです。Iさんも2019年のカンボジア奨学金授与式に参加されているので、アンさん家族とは2回目の対面です。今回はアンさん家族に羊羹をお土産に持ってきてくれたので、レストランでそれを渡します。ただ、羊羹を見たことのない人にとっては、長くて黒い石鹸にしか見えないので、レストランの人に羊羹を切ってもらってその場で食べてみることにします。一口食べた長女の反応が微妙で、それ以上食べようとはしませんでした。お土産とはそういうものです。Iさんはビールがいける口なので、アンさんや奥さんと一緒に乾杯を繰り返していました。何度も乾杯するのがカンボジアスタイルです。

本当はもう23日ゆっくり奨学生や学校を訪問したいところですが、タイのチェンマイでの予定があるので、明日の昼前にタイへ戻ります。明朝6時に、シェムリアップへ行くというアンさんに甘えて、ポイペトの国境近くまで車で送ってもらうことにしました。夜9時、ホテルの前でアンさん家族に「おやすみ」を言いました。

つづく

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